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11月ノギク

11月ノギク

野菊って
野に咲くキクの花を良く「野菊」と言いますが、じつは「ノギク」という花や、花の種類はありません。
キク科キク属のノジギク、リュウノウギク、シマカンギクを普通「野菊」とされますが、
キク科シオン属のノコンギク、キク科ヨメナ属のヨメナなども含む、私たちが「いわゆる菊の花」というイメージをもつ野生の花々を総称し、「野菊」と呼んでいます。

一般に栽培されている菊は、和名をキク(キク科キク属 Dendranthema grandiflorum (Ramatuelle) Kitam.)と言い、野生のものは存在せず、中国で作出されたものが伝来した。
それも丹精こめてつくられ,とっておきが菊花展に出品される。あるいは華やかな菊人形をつくる。「菊の御紋章」などと呼ばれ,かつては「国花」にもひとしかったものです。

同じキク科でも,ノギクはまるでちがう。
ひっそりと野にあって,つつましやかだ。痩せ地や河原や山地といった条件の悪い土地でもスクスクとのびて,白と黄色の清楚な花をつける。
そんなところが俳人や歌人に愛されてきたのだろう。

ノギクと出くわすたびに注意していると,花のちがいがわかってくる。
舌状の花びらの幅,花弁のひろがり,花弁同士の間隔が微妙にちがう。
海岸など強い風にさらされるところでは舌が大きくて厚く,密生している。当然,茎も太く,葉が大きい。
風がこなくて日当たりのいいところでは,舌が細くて薄く,花弁の間隔があいている。
風土に合わせ,ちがう種類が棲み分けているのだろう。

キクの花は昔から日本人にとって親しみ深い花で、野菊からも園芸品種が作られました。
端正な形の花のミヤコワスレはミヤマヨメナから、濃い紫色の花が美しい紺菊はノコンギクから、改良されました。

野菊は茶会の花としても使われている。
『天王寺屋会記 宗達茶湯日記 自会記』に、永禄(えいろく)2年(1559)9月4日朝、野菊を使ったと書かれている。
千利休(せんのりきゅう)も、天正(てんしょう)18年(1590)9月23日秀吉が聚楽(じゅらく)の茶会を開いたおり、野菊一枝を天目茶碗(てんもくぢゃわん)と鴨肩衝(かもかたつき)茶入との間に挟み、効果的に演出したと言われる。

秋草のいづれはあれど露霜に痩せし野菊の花をあはれむ(伊藤佐千夫)
歌人左千夫には歌だけで終わらなかった。
幼な恋の恋人を野菊にたとえた。つまり「野菊の如き君なりき」。

「野菊の墓」--伊藤左千夫
斎藤政夫は、15歳の少年。
民子は、政夫のいとこで、2つ年上 の17歳少女。
政夫の母は、病気がちで民子に家の事や看護をしてもらっていた。
おもな舞台は、千葉県松戸の近くで矢切村と言うところ。旧家の子供・政夫は、
家事手伝いにきた2歳年上のいとこの民子と親しくなる。
しかし、二人の仲を村の者に噂されるようになる。
母もまた気にかけて二人に注意したりする。
この母の言葉以来、二人の様子は変わってしまった。
周りの人がかれこれ言うので、かえって無邪気でいられなくなったのである。
ある秋の日、二人は家の用事で綿摘みに出かけ、畑に向かう途中野菊をみつけた。
「僕はもとから野菊が大好き。民さんも野菊が好き・・・・・・」
「私、野菊の生まれ返りよ。野菊の花を見ると身ぶるいの出るほどかわいいと思うの。
どうしてこんなかと、自分でも思うくらい」
「民さんは、そんなに野菊が好き。どうりでどうやら民さんは野菊のような人だ」
こして二人だけの時間を過ごしたのでした。
しかし、帰りが随分遅くなったため、怒った母は政夫を東京の学校へ入学させる事を決断したのである。
二人の間に芽生えた幼い清らかな恋は世間の目を気にする大人たちによってうちきられたのである。
政夫は東京の中学へ向かう前日、自分がいなくなってから見てくれと、民子に手紙を渡した。
その後民子は自分の家へ帰される。民子は強いられて他家に嫁に行き、流産で命を落としてしまうのである。
死んだ民子の左手には、紅絹(もみ)のきれに包んだ政夫の写真と手紙が堅く握られていた。
その手紙を読み政夫の母、民子の家族が皆、声を立てて泣いた。
無理に嫁にやった事を後悔し、詫びた。
政夫はその後七日間、民子の墓に参り周りに野菊を一面に植えた。
民子の墓の周りには、好きだった野菊の花が茂っていた。

伊藤左千夫の小説「野菊の墓」に語られているところでは,少年が葬式の日に見かけた花の印象が強かったようだ。
「不思議に野菊が繁っている」
弔いの人に踏まれても,なおスックと茎をのばし,青々とした葉をひろげている。
ちなみに伊藤左千夫の「野菊の墓」の野菊はカントウヨメナということが通説です。

「野菊」       石森延男作詞・下総皖一作曲

遠い山から吹いて来る こ寒い風にゆれながら
けだかく きよくにおう花 きれいな野菊(のぎく) うすむらさきよ

秋の日ざしをあびてとぶ とんぼをかろく 休ませて
しずかに咲いた野べの花 やさしい野菊 うすむらさきよ

しもがおりても まけないで 野原や山にむれて咲き
秋のなごりを おしむ花 あかるい野菊 うすむらさきよ

歌詞にある「やさしい野菊 うすむらさき」というのは、ヨメナ属に薄いむらさき色のものでカントウヨメナの事と言われます。

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