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9月楸(ひさぎ)

9月 楸(ひさぎ)

木偏に春夏秋冬。ツバキやエノキの木を解説するときに木偏に春を彩る木だからツバキ、木偏に夏を代表する木だからエノキと説明することがよくある。
木偏に冬も節分の焼嗅(やいかかし)柊鰯の風習で知られるヒイラギも身近な木です。
椿、榎、柊の漢字はよく目にしても、楸(ひさぎ)の字を見ることは稀です。

木+秋の漢字、楸。
楸は、中国ではトウ(唐)キササゲと呼ばれる樹木でシュウと読まれます。このトウキササゲは10m以上の高さになる木です。
楸の語源は、この木の葉っぱの性質にありました。トウキササゲの葉は、季節が秋になったらすぐに落ちてしまいます。
(秋になるとすぐに葉を落とす木にサルスベリがあり、なまけものの木ともよばれます。)
トウキササゲの葉が落ちると、人々は秋の到来を感じました。トウキササゲは、秋を感じさせる木として、楸という漢字が与えられたのです。

日本でも、楸という漢字は日本固有の樹木を表す文字として使われました。
その樹木はひさぎという木でした。

「楸」は「ひさぎ(久木)と読み、広辞苑で「ひさぎ(楸)」を引くと
「キササゲまたはアカメガシワ」と二つの樹木が挙げられています

キササゲ(木大角豆)は被子植物・双子葉合弁花類のノウゼンカズラ科キササゲ属の中国からの渡来植物で
アカメガシワは被子植物・双子葉離弁花類の(赤芽檞)トウダイクサ科アカメガシワ属の植物」で全く異なる植物です。

なぜ、この全く異なる二つの植物が「楸」に当てはまる植物とされたか?

「楸」は「久木」などと書き万葉集にも詠われています。
ただ残念ながら、万葉集には画像がないため、久木がどの植物を指しているかわらかないのです。

万葉集に詠われた久木は

(巻6-0925 山部赤人 )
ぬばたまの夜のふけゆけば久木(ひさぎ)生(お)ふる清き河原に千鳥しば鳴く
(夜が更けていくと久木の生えている清らかな河原に千鳥がしきりに鳴いている。)
深まりゆく闇、しめやかな水の流れ、寂寞を破る千鳥の声。
この名歌が人々に愛され、 「千鳥」 が冬の景物と考えられていたことと相まって、王朝和歌での 「楸」 は冬の清冽な風景を演出する素材として、しかも 「楸生ふる」 という句形で歌われることが多い。

【冬のヒサギとなれば、葉も実も無いアカメガシワより長い実(空莢)が目立つキササゲがあてはまるのか】

(巻10-1863 読み人知らず)
去年(こぞ)咲きし、久木(ひさぎ)今咲く、いたづらに、地(つち)にか落ちむ、見る人なしに

去年咲いた久木(ひさぎ)がいままた、咲いています。むなしく咲いて、地に落ちるのでしょう。見てくれる人も居なくて。

春の雑歌(ぞうか)のひとつです。

【この歌のヒサギの花はある程度美しく目立つ花で無ければならないと思えるので花弁のないアカメガシワより美しい花のキササゲを指すと思える。ただ花の時期は初夏、春の歌とは思えない。】

(巻11-2753 読み人知らず)
波の間(ま)ゆ、見ゆる小島(こしま)の、浜久木(はまひさぎ)、久しくなりぬ、君に逢はずして
波の間に見える小島の浜の久木(ひさぎ)のように、久しくなりました。あなた様に逢わないで。

【浜久木で調べてみたが新しい解釈は出てこなかった。】

(巻12-3127 柿本人麻呂 )
度会(わたらひ)の、大川の辺(へ)の、若久木(わかひさぎ)、我が久(ひさ)ならば、妹(いも)恋(こ)ひむかも
度会(わたらひ)の大川の岸の若い芽の久木(ひさぎ)。わたくしの旅が長くなったら、妻は恋しがるでしょうか。

【若い芽といえば、アカメガシワの赤い新芽がすぐ頭に浮かぶのでアカメガシワか。】

ヒサギ(久木)がどちらの木を表すのか検討してみたが、ヒサギ(楸)は古語で、楸(ひさぎ)を明確に指す植物はなく、 日本の本草学者、小野蘭山の「本草綱目啓蒙」に梓、アカメガシワ、アカガシワとあるのはキササゲのことであるとあり、よくわからない。

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