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5月ユリノキ

5月 ユリノキ

モクレン科ユリノキ属は、北米東部と中国中部にそれぞれ1種が分布している。
現在、日本の公園などにあるユリノキは、樹形が美しいため、街路樹、公園樹および庭木として日本に導入された北米原産の外来種である。
落葉高木で、日本では高さ20~35メートル、直径50~100センチになる。環境の適した原産地では高さ60メートル、直径3メートルにも達する。

花は両性花で、枝端に1個つけ、5~6月に開く。花弁は6弁、花径は5~6センチでクリームにオレンジ色のまだらの入ったしゃれた色合いの、チューリップに似た花がさく。
一般に被子植物の花といえば、3枚か5枚の花弁と多数の雄しべと、一つの雌しべという単純な構造であるが、ユリノキは、6枚の花弁、多数の雄しべおよび雌しべをらせん状に配列している。
このことからユリノキ、モクレン、コブシなどのモクレン科は被子植物が誕生した白亜紀(1億4千万年前から6千万年前)のころの姿をとどめていると考えられている。

ユリノキの花弁の内側に明るい橙黄色(とうこうしょく)の部分があり、そこから蜜を分泌し、受粉は虫媒である。10~11月に種子は成熟し、黄褐色に熟す。翼果が上向きに多数集まった松かさ状の集合果で、毎年結実する。晩秋から初冬にかけて、もっとも外側の翼果がコップ状に残っていることが多い。

特にモクレン科の中でもユリノキは原始的な種類で、5千万年前にすでに生育していたことが、北米で葉の化石が出土することから証明されている。
氷河期(およそ200万年前から1万年前の洪積世)に多くの植物種が絶滅したと考えられている。氷河期の洪積世以前に日本にもユリノキが自生していたことは、鳥取県で新第3紀層(およそ2500万年前から200万年前)からユリノキの葉の化石が発見されていることからもわかる。

ユリノキの葉は互生、葉の先端はやや凹形で、3~10センチの葉柄があり、裂け方は多様で、ふつうは4または6に浅裂する独特の形である。葉身は10~15センチ、はんてんの形で、薄いが硬い。両面ともに無毛で、全縁である。秋は黄葉が美しい。

樹皮は灰黒褐色、老樹では縦に細かく割れ目を生ずる。陽樹のため日当たりのよい肥沃地に生育するが、立地適応性も大きく、成長は非常によい。樹形は広円錐形である。

日本へは明治初年にアメリカ人学者のモレーから、植物学者の伊藤圭介に種子が贈られて、それを育てたものを現在の新宿御苑に植えたのが最初であるとされる。

名前の由来はいつも諸説あるが、ユリノキの名前の由来が東京大学の小石川植物園の説明板に記されている。
「この木は明治初年に植えられたわが国で最も古い株のひとつで伊藤圭介博士が米国からもらい受けた種子より育てたものである。明治23年大正天皇がご来園された際にこの木をみて「ユリノキ」と命名されたといわれている。」

和名の「ユリノキ」という名前は、もともと学名の「Liriodendron tulipifera」の属名の直訳で、ギリシア語で「ユリ」を意味する「leirion」と、「木」を意味する「dendron」が語源となる。種小名「tulipifera」は、チューリップによく似た形の花が咲く、という意味で、英語名では「tulip tree」と呼ばれている。

では何故日本名が「チューリップノキ」ではなく、「ユリノキ」なのか。日本に渡来した当時、日本ではチューリップがそれほど知られていなかったので、チューリップほど似てはいないが日本でも馴染みのある「百合」に見立てたのが、「ユリノキ」の由来という説があるが単に学名を直訳しただけではないか。
また、チューリップノキよりユリノキの方が音としての響きがいいと思う。

別名では「ハンテンボク」「半纏木」という名前もある。「半纏」とは、江戸の火消やとび職の着た、丈の短い作業着の事で、独特の葉っぱの形を「半纏」に見立てた。まあ、そう言われれば見えないこともないですが「半纏」自体が今の人々には意味不明・・・
他にも、葉の形から、「奴凧(やっこだこ)の木」、「軍配(ぐんばい)の木」などとも呼ばれた。

米国では蜜源となっているとされる。蜜腺はふつう、子房の基部の雄しべの間や花弁の基部の内側にあるという。花を一つひとつチェックした。ユリノキは蜜が多いというからにはじわりと滲み出ていても不思議ではないはずであるが、いずれもさらりとしていて、その気配がない。そのうちに、3枚の萼片の一つに虫がたかっているのが目に入った。虫を追っ払うと、萼片の先端に水滴がたまっている。ひょっとしてとの思いでなめてみると、砂糖水のように甘い。この経験則に従って、引き続き萼片に重点を置いてチェックすることにしたが、なかなか同様のものがない。そうした中て、やや高い位置にあった花を引き寄せると萼片からタラリと液体が流れ落ちた。まだ残った液体はそれでも先程よりも豊かで、間違いなく蜜であった。
意外であったのは、この蜜は目にするふつうの蜂蜜とは全く違って粘性はほとんどなく、すっきりした甘さの液体であった。蜂蜜は蜜蜂がせっせと溜め込む過程で含水率が低下して、とろみのあるものになるとされているが、オリジナルの花の蜜はこういったものなのであろう。
花の蜜はショ糖が主で、ブドウ糖と果糖はわずかな量であるのに対して、蜂蜜は蜂が有するショ糖分解酵素のインベルターゼ(スクラーゼ)の働きで大部分がブドウ糖と果糖に転換されているという。
ユリノキの花の中をのぞき込んだところ、アリが花の蜜腺の位置を教えてくれた。
花披片のオレンジ色の斑紋部分にアリがずらりと並んでいる。ということはこの部分から蜜を分泌しているということである。それにしても奇妙なところから蜜を出すものである。

ユリノキに関し、米国農務省のHPには、「材は用途が広いことにより、また、減少する家具・フレーム用軟材の代替材として高い市場価値を有している。また、蜜の木、野生動物の食料供給源、広い場所での緑陰樹としても重要な存在である。」としている。
具体的な用途に関して、「近年の最も重要な用途は、家具用の表面に出ない部材や芯材、家具部材の構造部や背面用・内装部材用合板の下地のためのロータリー単板、パルプ材である。」としている。

米国内ではユリノキをイエローポプラ(yellow-poplar)、チューリップツリー(Tuliptree)、チューリップポプラ(tulip-poplar)、ホワイトポプラ(white-poplar)、ホワイトウッド(whitewood)と呼ばれる。
初期の入植者は、インディアンがカヌーの材料としているのを見て、カヌーウッド(canoe wood)と呼んだ。
以前には、アメリカの材木商のあいだでは、ユリノキを丸太で扱うときは「バスウッド」と呼んでシナノキとごっちゃにし、ユリノキの辺材を板材にしたものを「ホワイトウッド」と呼んで海外に輸出していた。しかし、イギリスに輸出するときに限って、相手の好みかどうか不明だが、「カナリーウッド」という名を用いることが多い。
若木の材色は白く、米国の材木商はこれをホワイトウッドと呼び、黄色を帯びる壮成木をイエローウッドと呼んで区別しているという。

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