8月ひまわり
8月ひまわり
夏の花と言えばヒマワリ。
「太陽のような形をした黄色いの花を咲かせる草花」
おひさまに向かいまっすぐ立って咲く姿は、花色のビタミンカラーの明るい黄色で、見たものに元気や希望を与えてくれる気がします。
普通のヒマワリはキク科の1年草で7~9月、茎の先端に黄色の大きな花を付けます。観賞用に栽培されるほか種は食用になり、油が採取され生活に欠かせない植物になっています。
ヒマワリの歴史は古く、ギリシャ神話に太陽の神アポロ(Apollo)にまつわるヒマワリの花物語があります。アポロは大神ゼウスの息子でまばゆいばかりの金髪と美貌、均整のとれた肉体、その上、竪琴と笛の名手でした。
水の精クリュティエ(Clytia)はアポロに恋をし、叶わぬ片思いの恋になります。悲しく泣いてばかりの彼女はアポロが日輪車で東の空に昇ってくるのをひたすら待ち続け、西の空に姿が見えなくなるまで追い続けました。そして、9日9夜経った時、太陽の光を浴び続けた彼女の体は地に根を下ろし、やがてヒマワリになってしまいます。その思いは絶えず、今もヒマワリは太陽(アポロ)を見続けています。
このせつないギリシャ神話からか「ひまわり」は太陽に向かって咲く花だと言われます。実は特に遮るものが無ければ花は東向いて咲くことが多く、太陽を追いかけて花の方向が移動することはありません。
しかし、名前の由来は太陽の動きに合わせてその方向に向かって追うように花がまわることから「日まわり」。
ヒマワリの属名ヘリアンツスは「太陽」と「花」という意味を持つ2つの言葉で、英名は「サンフラワー」、和名では「向日葵(ヒマワリ)」「日輪草(にちりんそう)」「日車(ひぐるま)」などと呼ばれ、どの名も太陽に由来します。
また、ヒマワリの歴史は古代インカ帝国にも見られます。古代インカ帝国ではヒマワリは太陽の花と尊ばれていました。石造りの神殿にはヒマワリの花が彫られ、司祭や太陽神に仕える聖女たちは、金細工のヒマワリをかたどった冠を身につけていました。
このように、伝播した世界の各地で「太陽」と結びつけられて様々な逸話が語られるのもヒマワリの花の特徴です。
ヒマワリは北アメリカのテキサスやカリフォルニアが原産地で野生のものは50種と19の雑種が知られています。毎年花を咲かせる多年草のものや球根を作るものもありますが、ほとんどは芽が出て花を咲かせ種が出たのちに枯れてしまう1年草です。野生種はさほど大きな花は付けず、現代の大輪のものは品種改良によって作られたものです。
北アメリカのアリゾナ州やニューメキシコ州ではトウモロコシよりも以前、紀元前前約3000年に唯一種から栽培される農作物として広くヒマワリが栽培されていて、インディアンの間で幅広く使用されていました。
種は粉末に加工し、菓子やおかゆやパンにしたり、他の野菜と混ぜて食べていました。食べ物だけでなく、織物につかう染料やボディペインティング、装飾にも使われました。蛇にかまれた時や怪我をした時にも塗り薬として使われ、種の油は保湿や日光から守るための化粧品として髪や肌に塗られていました。
そんなヒマワリを偶然発見したスペイン人の医師ニコラス・モナルデスが1500年代にスペイン王立植物園に持ち込み、西ヨーロッパでは18世紀、装飾用(観賞用)の花として広まりました。
フランスのルイ14世は「太陽王」の名前の通り太陽の花ヒマワリを好み、自分の紋章にしました。ベルサイユ宮殿の正門には今でもヒマワリが植えられています。
薬として利用され1716年にはイギリスでヒマワリの種から油を採ることは当たり前のようになりヒマワリ油の製造が商業レベルで行われます。
しかし、ヒマワリが食用作物として広まったのはロシアに伝わってからです。ロシアの農学者によって食用の改良種(Hybrid)が作られ、ロシアの農民たちが19世紀初期までに200万エーカー以上の広大な土地でヒマワリを栽培するようになりました。ヒマワリはロシアの国花であり、ロシア正教では欠くことのできない聖なる儀式をつかさどる花でもあります。
アメリカ合衆国には19世紀後半に、ロシアで改良されたヒマワリの種がロシア人やドイツ人の移民によってもたらされ、このマンモスロシアン種が100年以上長く使われ、1950年代には、ヒマワリが重要な農作物として広く栽培されるようになりました。
また、日本へはロシアから中国経由で江戸時代(1666年)に渡来し当時は「丈菊(じょうぎく))と呼ばれていましたが元禄時代(1688~1704)にはヒマワリという名で広まりました。