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大阪区民カレッジ みなと校 2023/05/22
今日のみなと校の午後の講義は大正アイランド北部を巡るという街歩き。
3班のガイドはNPO法人大阪ウォーク・トーク副代表の許講師
13:30にJR大正駅から北へ徒歩2分の大正橋公園に集合。
NPO法人大阪ウォーク・トークの4人の講師が見えられ、各班をガイドしていただく。
この公園は木津川口東御番所跡に作られた。
説明板がある。
公園を出て、木津川に架かる大正橋の南側を東に渡る。
大正橋
橋を渡ったところはもう浪速区、大正橋の北東の橋詰にある安政大津波の碑を見るため浪速区の日吉橋の信号で北へ道路を渡る。
安政大津波の碑
大正橋の北側から道頓堀水門を見ると丁度船が通るところ。
道頓堀水門
大正橋の北西の橋詰には大正橋の顕彰碑があった。
橋詰には初代大正橋の基石がオブジェとして置かれていた。
西に進むと大阪環状線が通る岩崎運河橋梁の巨大な姿が見える。
四角形の橋梁は何故かすごく違和感を感じる。
普通はアーチ橋、この橋梁は何なのか不思議。
岩崎運河橋梁
橋梁は両端に角度がなく、橋長は91メートルあります。
また、高さが非常に高くなっています。
トラス橋とよばれる橋梁の一種ですが、トラス橋とは細長い材料を三角形に組み、これを繰り返し用いて橋をつくったものです。さまざまなタイプのトラス橋がありますが、岩崎運河橋梁はダブルワーレントラス橋に分類される橋梁です。
ワーレントラスは斜材をアルファベットの「W」の形に組み、縦材を用いないで橋を作るため、材料を節約することができます。ダブルワーレントラスは斜材をアルファベットの「X」の形に組むため、ワーレントラスを重ねたような構造となり、ダブルワーレントラスとよばれるようになりました。
ワーレントラスのイメージ図
ダブルワーレントラスはワーレントラスに比べると、材料がより多く使用されるため橋の重量自体が単純に重くなってしまう他、車窓の風景にしても見えにくくなるというようなデメリットがあります。ダブルワーレントラス橋は関西ではあまり見られない橋梁であり、関西地方における貴重な鉄道遺産ということになります。
大正駅をはさんで東には岩崎運河橋梁は形も大きさも同じような木津川橋梁もあります。
JR環状線をくぐり、岩崎橋公園で小休止。
ここにも御船蔵跡という案内板が立っている。
御船蔵跡
ここから少し寂れた三軒屋中央商店街・三泉商店街を経て、金光教泉尾教会へ。
金光教泉尾教会
金光教は安政6年(1859年)、教祖金光大神が『自ら助けられた信心を人に伝えよう』との天地金乃神の依頼を受けて開いた宗教で世界各国に約1700の教会があります。金光教泉尾教会は、昭和2年(1927年)1月、創設者である三宅歳雄(1903-99年)が「人よ幸いであれ]」念願のもと、大阪の地で布教活動を始めた教会です。
創設者の三宅歳雄は、平和活動の推進者として世界的な評価を得ており、歴代ローマ法王や国連事務総長らからも、日本の宗教者の代表として何度も招かれています。さらに、WCRP(世界宗教者平和会議)名誉会長をはじめ、数多くの国際機関の重職に就き、その任を果たしています。
金光教泉尾教会の境内地は、大阪市内には珍しい20,000㎡(6,000坪)という広大かつ手入れのよく行き届いた庭園(「泉光園」と呼ばれている)でもあり、近隣住民の憩いの場であると同時に、ウグイス・メジロ・ゴイサギ等の野鳥や淡水魚・両生類をはじめ多くの昆虫類の生息地でもある。境内地である泉光園は、1989年に大阪府から「大阪みどりの百選」に選定され、また、世界平和を祈念して1954年に建立された「祈りの塔」は、「OSAKA咲AKASO 人・街・夢 百選」に1991年に大阪市からそれぞれ選定され、なにわの新名所として地域の人々からも親しまれています。
今日の街歩きはここで終了。
大浪通り・大正通りを歩き、大阪メトロ大正駅に出て帰宅。
少し暑つかったが見どころの多い、街歩きだった。
大阪区民カレッジ みなと校 2023/05/08
今日の講義は関西沖縄文庫の金城馨講師で題目は「大正区の中の沖縄」。
レジメは沖縄人として日本を生きる。
かなり難しい内容、沖縄の人たちの今までの差別や偏見を知ることのなかった私にとってどのように感じたら良いのか。
また、これほど沖縄にこだわりを持たれることについては羨ましいと感じることもある。
ただ、沖縄の現代の諸問題、米軍基地の問題は知らなかった、知らされなかった、知ろうとしなかった自分もいると思った。
今日のクラブ活動は男性4人、女性2人の6名。2名欠席。
今月の木としてポプラを取り上げた。
何年か前に、この季節に大泉緑地ヒーリングガーデナーのボランティア活動で訪れたとき、空気中に綿毛ぽい、白いものがたくさん飛んでいて、これは何かなと思っていた。
ポプラの綿毛
果実は蒴果で、種子は小さく柳絮(りゅうじょ)と呼ばれ、綿毛を持っており風に乗って散布される。
5月中旬の頃、公園緑地で、綿みたいなものが、空一面ふわふわ飛んでいて息苦しさを感じることもあります。散歩する人がこの原因は何かと不思議がっているようすもよく見られます。原因はポプラです。
花は目立たず、しかも高い位置につけるため咲いていても気づきにくい。
花が終わってすぐ、房状で綿毛つきの種子をつけるのですが、すごい量の種子が風に飛ばされて空を舞います。
地面は白くなってじゅうたんのようになります。
ポプラを取り上げたのはポプラについて調べていたとき、新川和江さんの名づけられた葉という詩にめぐり合ったことによる。
この詩には混声合唱曲として曲が付けられ、コンクールの課題曲にもなっていてユーチューブで聞くとこもできる。
名付けられた葉 新川和江
ポプラの木にはポプラの葉
何千何万芽をふいて 緑の小さな手をひろげ
いっしんにひらひらさせても
ひとつひとつのてのひらに載せられる名はみな同じ
わたしも いちまいの葉にすぎないけれど
あつい血の樹液をもつ にんげんの歴史の幹から分かれた小枝に
不安げにしがみついた おさない葉っぱにすぎないけれど
わたしは呼ばれる
わたしだけの名で朝に夕に
だからわたし考えなければならない
誰のまねでもない 葉脈の走らせ方を刻みの入れ方を
せいいっぱい緑をかがやかせて うつくしく散る法を
名づけられた葉なのだから
(ポプラの葉はポプラの葉。どんな木の葉も、一枚一枚に名前は付いていません。
だけど私たち人間には一人一人に意味のある固有の素敵な名前がついています。
自分が自分であることにプライドを持ち、精一杯自分らしく生きなければならない。
それゆえ、私たち人間は、どんなに道は険しくとも、風が吹いて木から跳ね飛ばされそうになっても、自分の人生を、一生懸命生きて、咲き誇って、死んでいかなければならない。
そのような命(生き方)の大切さを問いかけています。)
これをポプラの木からのメッセージとしてポプラの葉で栞を作った。
5月15日の葵祭にちなんで葵祭の植物と名付けて葵と桂の話をした。
爽やかな初夏の京都を優雅な行列で彩る葵祭。今から約1500年前に始まったとされる賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭です。5月初旬からさまざまな行事(前儀)が行われ、5月15日には、およそ8キロもの距離を、平安装束をまとった人々が練り歩く「路頭の儀」が開催されます。
葵祭は、もともとは「賀茂祭」と呼ばれていましたが、江戸時代に祭が再興されてから葵の葉を飾るようになり、「葵祭」と呼ばれるようになりました。
上賀茂・下鴨両神社の神紋が「二葉葵」であり、祭りには神事関係者、行列参加者などに二葉葵と桂の小枝をつけるのが賀茂祭の古くからの習わしとなり、社殿や牛車にも飾られます。『葵桂(あおいかつら・きっけい)』また来賓の参列者などにも二葉葵が渡されます。
『葵桂(あおいかつら・きっけい)』とは-
葵祭の〝あおい〟は「路頭の儀」(行列)の御所車、勅使、供奉者の衣冠などに飾られた緑の葉。これは「葵桂(〝あおいかつら〟または〝きっけい〟)」といって、桂の小枝に、下鴨神社と上賀茂神社の神紋である二葉葵の葉を絡ませたものです。
「葵」も「桂」も「清浄の象徴」であることから「清め」の意味合いが強いと考えられています。
葵が女性の象徴(加茂神社では葵草を神草)、桂が男性の象徴(京都の日吉大社と松尾大社では 桂を神木)。この2人の神が結ばれたという神話 に基づいて、これらの祭りに葵と桂を飾れます。
その後、隣接する、千島公園に行き、可愛く咲いている雑草の話をしながら、初めて昭和山に登った。
頂上からの眺めは良く、港大橋やあべのハルカス、金剛山・葛城山・二上山等が展望できた。
身近な素敵な場所と思った。
来月のクラブ活動は6月の木としてタイサンボクを取り上げる。
大阪区民カレッジ みなと校 2023/04/24
今年度の高齢者大学校は大阪区民カレッジみなと校に行くことになった。
今日は2日目。
講義場所は大正区役所の横にある、大正区コミュニティセンター内大正会館。
大阪に生まれ、大阪で育ったが、大正区には一度も足を踏み入れたことはなかった。
最寄の駅は大正。
家からだと大阪メトロ今里駅から乗車、西長堀駅で鶴見緑地線に乗り換え、大正に。
そこから、大阪シティバスに乗り換え、約10分大正区役所前で降りる。
家から約45分かかる。
大正から乗るシティバスの鶴町四丁目行きのバスは非常に本数や経路がたくさんあり、初日は乗り違えてしまった。
みなと校では今年から放課後クラブ活動(pm3:00~4:30)が予定されていた。
後期高齢者となるのをきっかけに花と緑の勉強会を立ち上げてしまった。
早速今日から勉強会を始めた。
今日は今月の木として、山笑うの季語のイメージのクスノキについてレクチャーしたが、なれなくてあまりうまくいかなかった。
クスノキの他、ケヤキとエノキ・ムクノキの違いも少し解説した。
座学は20分ほどで隣接する千島公園に全員(6名)で行き、燃えるように新芽が展開するクスノキやケヤキを観察した。
満開のヒラドツツジを眺めながら、キリシマツツジ・ヒラドツツジ・サツキの違いを説明した。
クルメツツジ(キリシマツツジ)
開花時期は4月上旬~5月上旬で、良く知られているツツジの中では開花時期が早い。
霧島ツツジとサタツツジ(薩摩半島大隅半島の品種)から品種改良されたとされる九州の久留米あたりが発祥のツツジ。一般的にはキリシマツツジと混同して使用されており、区別しにくい。ツツジとしては小型で、小さく育てられる。花も小さいが赤い花を葉っぱが見えないくらいにビッシリとつけるので美しく人気がある。品種が非常に沢山あり、ツツジ栽培で有名な伊藤伊兵衛が最も評価した品種。
ヒラドツツジ
道路沿いや家庭の庭等で栽培されている最も一般的なツツジで、単にツツジと言えばこの花をさすことが多い。ツツジの中では花が最も大きく、ピンク、白、赤紫等の色が一般的です。開花時期は4月中旬~5月中旬。枝は脆く、折り曲げると簡単に折れるので、盆栽には適さない。ケラマツツジを母体にモチツツジ、キシツツジ、リュウキュウツツジが自然交配して出来たもの。
オオムラサキツツジ
ヒラドツツジの一種ですが、花が大きく人気があるので、「ツツジ」というとこの「オオムラサキツツジ」と考えていいくらいに一般的なツツジ。単に大紫(オオムラサキ)と呼ぶことも。花の時期は通常のヒラドツツジよりやや早く、4月中旬~5月上旬。
排気ガスにも強く、生育が良いので公園や道路の側帯に植えられています。
サツキツツジ(通常、単にサツキ)
これも道路沿いや家庭の庭等で栽培されている最も一般的なツツジです。他のツツジが4月中旬から5月中旬に開花するのに対して5月中旬から6月中旬と一ヶ月遅れで開花します。見た目にはクルメツツジと良く似ていますので、開花時期で判断します。ヒラドツツジとは開花時期が異なり、花も小さいので明確に区別ができます。
赤紫の花が最もポピュラですが、園芸・盆栽用として品種改良され、色々な色、形の花があります。
ソテツの植え込みにツルニチニチソウ(ビンカ)の青い花が美しく咲いていた。
今日は初めてなので千島公園の入り口から少し入ったところで終わることにした。
次回5月の木はポプラと京都葵祭の植物を取り上げたいと思っている。
春の鉢花 2023/04/14
スミレ
娘が努めている、保育園の名前がすみれ園。
園に飾ってもらおうと寄植えを作ってみた。
真ん中にタチツボスミレ、両横にスミレと白花のスミレ、薄紅ヒゴスミレもあったので4種植とした。小さな青い花はコケリンドウ。これはこぼれ種でくっついてきたもの。
春になると、愛らしい紫色の小さな花を咲かせるスミレ。単に「すみれ」と聞いて多くの人が思い起こすのが、このスミレかタチツボスミレ。
名前の由来は複数ありますが、花の形が大工さんが直線を引く際に使う道具「墨壺」に似ていることから、墨入れ、転じてスミレとなったという説がよく知られている。他に、スミはツミ(摘み)の異形で、摘んで楽しむ「摘入草」の意味からという説などもある。
スミレの花は、色ごとに異なる花言葉を持っている。最も一般的な紫色のスミレの花言葉は、ささやかな幸せ・誠実・真実の愛。愛らしいピンク色のスミレは、愛・希望など。
基本的には、愛らしい姿を楽しむ観賞用の花ですが、食用としても親しまれています。
葉を天ぷらやお浸しなどにしたり、花をエディブルフラワーとして利用したり。
スミレの花の砂糖漬けは、とても愛らしいお菓子として有名です。
ただし、タネや根が有毒なニオイスミレのように、一部には毒性を持つものもあるので、食用として利用できる種類であることを必ず確かめてください。
ヤブレガサ
ヤブレガサは主に、落葉広葉樹林内のやや乾いた場所や斜面に見られる多年草。
早春に出る芽は、若葉が綿毛に覆われて愛らしく、名前のとおり、破れた傘のような形です。
芽は、開花しないものは葉が1枚出るだけですが、開花する芽は2枚の葉をつけます。
茎はまっすぐに伸び、初夏になると、先端に花径1cm弱の白っぽい花をまばらにつけます。
ヤブレガサの花はあまり見栄えがしませんのでいつも摘みとってしまいます。
ウラシマソウ
ウラシマソウは本州、四国を中心に、北海道や九州の一部にも分布する球根植物で、主に海岸付近の林床や人里近い林に多く見られます。
苞の中に伸びた付属体の先端部が細く糸状に伸び、その姿を、浦島太郎が釣り糸を垂れている姿に見立てて、この和名があるとされています。
地下にはサトイモに似た大きな球根があり、春になると芽を伸ばします。やがて10枚前後の葉を傘のように広げ、黒褐色の苞を開きます。この苞は「仏炎苞(ぶつえんほう)」と呼ばれます。本来の花は、付属体の下につき、成長や栄養の状態によって、雄花から雌花に変化する性転換植物として知られています。
葉は、早いものでは夏前後から枯れ始め、遅くても秋には落葉します。
秋に球根のわきに小さな球根をたくさんつくってふえますが、元の親球根は5年程度で枯れる傾向があるので、ふえた小さな球根を大切に保存管理することが個体維持につながります。
セッコク
私の棚で一番多いのがセッコク。2.5号鉢が主だが250鉢ぐらいある。
あまり手入れができなくて枯らしてもいるが株分けで増えることもある。
コロナ禍以来、姫路の展示会にも行っていない。
行くとどうしても買ってしまうので悩ましい。
セッコクは、東北地方南部以南の山地や岩場に見られる小型の着生ランです。
デンドロビウムの仲間で、主に針葉樹林や常緑広葉樹林に見られます。
節のある細い棒のようなバルブを何本も束ね、細い根でしっかりと木や岩に着生し、晩春から初夏に白や淡い桃色の花を咲かせます。
花後に新芽を伸ばして、つやのある葉を広げながら、新しいバルブが伸びていきます。
冬前には葉が落ちて、バルブの状態で冬を越します。
花にはほのかに香りがあり、四季を彩る野生ランとして多く販売され、人気があります。
古くから多くの斑入りや花変わりなどが選別され、「長生蘭」の名で古典園芸植物として親しまれています。
フウリンオダマキとミヤマオダマキ
風鈴オダマキとミヤマオダマキが咲いている。
いつ頃手に入れたのかもう忘れてしまった。
今咲いているのはこぼれ種で増えたものでツバキなどの鉢で芽を出したものをツバキの植え替えのときに分けたもの。
ほったらかしだが花は可愛く、球根類と寄植えにしている。
風鈴オダマキは中国原産で、オダマキに付き物の距がないことが特徴です。このため、オダマキ属ではなく、セミアキレギア属(Semiaquilegia)に分類されています。semiというのは半分という意味です。なお、オダマキ属に分類されることもあります。
流通しているのは、二色風鈴オダマキや乙女風鈴オダマキが多いですが、二色風鈴オダマキは、オダマキ(A. flabellata)との交配種とされています。
ミヤマオダマキは標高の高い山か冷涼な地域に分布しているオダマキです。
一般的なオダマキよりも草丈が小さく、10~20cmほどで、青紫色~白色と花色の幅が広いことが特徴です。
高山植物ではありますが、昔から親しまれている山野草の一つで、他の高山植物と比べて比較的育てやすく、あまりに気温が高い地域でなければ育てることが可能です。
モッコウバラ
中国原産のモッコウバラ、日本には、江戸時代に黄色の八重咲き品種が渡来したのが最初です。
インド原産の多年草から作られる木香(モッコウ)の香りに似ていることから、モッコウバラという名前がつけられた。
花色は白、黄の2種類で、それぞれ、ひと重咲き、八重咲きがある。
香りは微香で、白のひと重咲きは、やや香りが強いのが特徴です。
一方、八重咲きのモッコウバラには、白、黄ともにほとんど香りがありません。
ナニワバラ
白い花を咲かせるナニワイバラの原産地は中国や台湾です。
しかしながら古くから日本とつながりがある植物です。
名前の由来は江戸時代にさかのぼります。大阪難波の植木商人がよく中国から輸入していたため、この名前が付けられたとされます。
ナニワイバラは一般的に4~6月頃に開花の季節を迎えます。
バラの花言葉は「愛」と「美」です。バラは花色毎に花言葉がそれぞれあります。
花言葉は「純粋な愛」「愛情と敬意」「私はあなたにふさわしい」
真っ白で美しいナニワイバラにぴったりの花言葉です。
ムベ
ムベはアケビ科ムベ属の常緑つる性木本植物で、別名「トキワアケビ」とも呼ばれています。日本では東北南部より西の各地に自生し、台湾や中国などにも分布しているとされています。4月下旬~5月に花を咲かせ秋に果実が赤く熟します。
この木の葉は、幼木のときは3枚、その後ある程度成長してくると5枚になり、実が成る頃には7枚になるので、「七五三の縁起木」ともいわれているそうです。
滋賀県近江八幡市に残る伝説に、ムベが登場します。
天智天皇が蒲生野(古代近江の歴史地名)に狩猟で訪れた際、現在の近江八幡で8人の男子を持つ健康な老夫婦と出会ったそうです。その時その老夫婦にどうすればそのような長寿でいられるのか尋ねたところ、この地でとれる無病長寿の霊果を毎年秋に食べているからだと言い、それを差し出したそうです。これを食べた天智天皇が「むべなるかな(いかにもそのとおりだなあ)」と仰せられたとか。その時の「むべ」がその後その果実の名称になったと伝えられているとの事です。また、それ以来朝廷に毎年献上されるようになったとされています。
鵜殿ヨシ原 つる抜きボランティア 2023/03/29
昨日の朝日新聞につる抜きボランティアの記事が載っていた。
社会課題の解決やSDGsの達成へと地道に行動する人たちを応援する「SDGsジャパンスカラシップ岩佐賞」(SDGs岩佐賞)の第2回受賞者が3月28日(火)に公表されました。
活動名:雅楽の楽器 篳篥の蘆舌のヨシ再生の為の「つる草抜き」
芸術の部 賞金200万円
1000年を超える歴史を誇り、世界最古の音楽文化財ともいわれる雅楽。その主旋律を奏でる縦笛「篳篥(ひちりき)」が、いま存続の危機にあります。篳篥のリード「蘆舌(ろぜつ)」に使用するイネ科の多年草ヨシが、採れなくなってきているのです。
大阪府高槻市の淀川流域には、約2.5km×400mにわたってヨシが自生してきました。「鵜殿のヨシ原」として知られていましたが、環境悪化や外来種のつる草の繁茂により、ヨシが次第に減少。コロナ禍で手入れがままならなかったこともあり、2021年秋には篳篥のリードに使える成長の良いヨシは全滅してしまいました。
そこで雅楽協議会では、2022年4月から「ヨシ原焼き」「つる草抜き」の活動を開始しました。初日には、雅楽師・東儀秀樹氏によるミニコンサートも開催。活動は9月まで44日間にわたって断続的におこなわれ、ボランティア参加者はのべ1246人にものぼりました。
その結果、手入れをした約200m×24mのエリア内でヨシの再生が確認されました。加えて、ツバメやイタチ、ハグロトンボだけでなくキツネノカミソリ、ナンバンギセルなど希少な動植物も発見することができました。
雅楽の文化を守りつないでいくために、そして生物多様性を守っていくために、今後もヨシ再生のための活動を続けていきます。
昨年、この活動にボランティアで参加した、今年も高槻市上牧に住む娘から声がかかり行くことにしていた。
11時すぎに娘の家に到着し、早昼にして12時過ぎに現地に赴いた。
堤防の入り口に鵜殿ヨシ原~自然と文化が響き合うヨシ原をめざして~という案内板が新設されていた。
堤防沿いはセイヨウアブラナの花がきれいな景観を作っていた。
つる草抜き作業はボランティアの他にアルバイトの人もおられるので昼休みで作業は13時から指示を受けて行うとこになったので時間つぶしに少し廻りを散策する。
ヨシ原の続きにはノウルシがきれいに咲いていた。昨年より株は小さめ、昨年は4月10日だったのでまだ大きくなっていないのかも。
作業する場所のすぐの河に続くヤブでクサノオウとオドリコソウを見つけた。
作業内容のつる草はカナムグラとヤブガラシ、カナムグラの駆除は終わっているようで今日はヤブガラシの駆除。
【ヤブガラシとは】
・北海道西南部、本州、四国及び九州に分布するブドウ科の蔓性多年草。日当たりの良い道端や藪の縁、除草後の空き地などに見られ、時に他の草木を覆って枯らし尽くすほどの高い繁殖力を持つため、ヤブガラシと名付けられた。日本以外でも中国、インド、マレーシアなどアジア各地に分布する。
・正式にはヤブカラシだがヤブガラシと呼ばれることが多い。別名にはヤブタオシ、ビンボウカズラなどだが、何れも好意的な名前ではない。しかし、ヤブガラシは生薬名を「烏蘞苺(うれんぼ)」といい、民間療法では葉の汁を虫刺されに使うなどの利用価値もある。
・葉は5枚の小さな葉からなるように見えるが、5枚で一つの葉であり、先端の小葉(裂片)が最も大きく、それぞれの縁には細かなギザギザがある。5枚の小葉は鳥の足跡のように三つに分かれた長い葉柄でつながり、よく観察すると葉柄の基部には「托葉」と呼ばれる2枚の小さな葉がある。イメージのよくない「雑草」だが、十分にアク抜きした新芽や若菜は、御浸し、油炒め、和え物などにして食べることができる。
・ヤブガラシは太くて長い地下茎に栄養を溜め込み、その節々から地上に芽を出す。切断された箇所からも芽を出すほど丈夫であり、抜本的に駆除するには地下15~20センチのところにある地下茎を全て掘り出すか、根まで枯らすような除草剤を使用する必要がある。ちなみに葉や蔓と同様、根にも利用価値があり、盛夏に採取した根を煎じたものは利尿剤に、生のままで擂り潰したものは、虫刺され薬や冷湿布として使うことができる。
【カナムグラとは】
・日本全国の道端、空き地、明るい山野に自生するアサ科の一年生蔓草。茎(蔓)や葉柄に細かなトゲがあり、素手で触れるとチクチクし、軍手で触れるとザラついて作業の邪魔をする厄介な雑草の一つ。
・カネムグラの「カネ」は金あるいは鉄で、針金のように丈夫な蔓に由来し、「ムグラ(葎)」は、蔓を絡ませてよく茂る雑草を意味する。カナムグラの漢字表記は鉄葎、金葎、葎草。別名はムグラ、オオムグラ、イヌムグラ、ヤエムグラなど。日本以外の東アジア諸国にも分布する。
・3~4月に種子から発芽し、地際で分岐した蔓が夏までの間、急速に成長し、他物に絡まりながら繁茂する。葉は直径5~12センチほどの掌状で5~7つに深く裂ける。大きなカエデのようだが、質は薄く、表面はザラザラしている。
・雌雄異株で、秋になるとそれぞれの花を咲かせる。雄株に咲く雄花は黄緑色で、円錐状になって上向きに咲き、雌花は紫を帯びた緑色で、松かさのように垂れ下がって咲く。雌雄とも目立つ花ではないが、雄花は大量に咲いてホコリのように花粉を飛ばし、花粉症を引き起こす。雌花の後にできる果実はやや平たい球形になる。
作業現場はヨシの芽が20cmぐらい伸びていて、昨年より成長はよく目立つ。
作業を始める。
ヤブガラシはまだ探さないと気が付かないぐらいの小さな芽しか出ていない。
持参した草抜き道具で芽の下の地下茎を探り、引っこ抜く。
四方八方張っている、これではヨシの成長は良くないはずだ。
すぐ袋に地下茎はいっぱいになる。
2時間余り作業して帰宅に付いた。やはり少し腰にくるが良い運動になった。
鶴見緑地の桜 2023/03/25
向かいの家のソメイヨシノが見頃になってきた。
明日は雨模様。来週の月・火は野暮用がある。
今年は久しぶりに佐保川の桜・川路桜を見に行きたいと思っているが・・・。
思い立って昼からまた鶴見緑地の桜を見に行った。
大池周りのソメイヨシノは見頃。まだ落花している桜はなく7分咲き程度か。
花の下には弁当を広げる家族連れでごったがえっている。
外国籍と思われる人々が多く見かける。花見も国際的になってきたみたい。
大池の周りは人が多い。
前回3月15日にはまだ開花とは言えなかった陽光桜を目指す。
手前に最近植えられたシダレザクラが美しく咲いていた。
陽光桜の赤みの強い花は遠くからもよく目立つ。
陽光桜の樹下は花びらがたくさん落ちていて地面がピンク模様に染まっている。
でも、まだまだ見頃、でも樹の下で花見をしている人は見かけない。
ここでの花見は禁止なのかもしれない。
前回満開だったオカメザクラはすっかり葉桜。もう誰も足を止めない。
ソメイヨシノをメインに考えるとオカメザクラの花に気が付かないことがよくわかった。
山の広場にも桜がたくさん植わっているのでいつものコースへ。
西ゲートからまっすぐの坂を上ったところに濃いピンクの花。
この木はアーモンド、1本だけだがよく目立つ。
SNSばえするのでここで写真を撮る人が多い。
山の広場のソメイヨシノも見頃で多くの人で賑わっていた。
鶴見緑地の早咲きの桜 2023/03/15
昨日、東京でソメイヨシノの開花宣言があった。
温かい日が続くので、鶴見緑地でも早咲きの桜が咲いているかもしれない。
早昼後、行ってみた。
大阪メトロ鶴見緑地駅から中央口に、中央噴水を西へ、西ゲートの手前に薄ピンクの桜らしきものが咲いていた。これはベニバスモモの花。
パッと見ただけでは「あれ?!サクラ?」と思ってしまう人が多いのかもしれません。
ベニスモモ
ベニバスモモは「チェリー・プラム(cherry plum)」や「ミロバラン・プラム(myrobalan plum)」等とも呼ばれる東南ヨーロッパおよび西アジアが原産の落葉小高木です。
ベニバスモモは早春から春にかけて開花する美しい花を鑑賞する目的だったり、開花の途中から現れる赤紫色の美しい葉をカラーリーフとして楽しむ目的だったり、食用になる果実を収穫して食べる目的で育てられたりする植物です。
公園や街路樹として植えられています。
このベニスモモの西側に陽光桜が植わっている。
まだ花は。2輪確認、開花宣言とは言えない。
陽光桜(ヨウコウザクラ)
作者は愛媛県の高岡正明さんで「里桜」の天城吉野(アマギヨシノ)と寒緋桜(カンヒザクラ)との交配によって作出された。
元教師だった高岡さんは、送り出した教え子たちが戦場に散ったことを悼む鎮魂の旅に出た沖縄で寒緋桜(カンヒザクラ)と出会い、この桜が生まれることにつながったという。
染井吉野(ソメイヨシノ)よりも少し早く咲く。
一重咲きで、寒緋桜(カンヒザクラ)の紅色が濃い。別名を紅吉野(ベニヨシノ)とも言う。
しかし、陽光桜の奥に濃いピンクの満開の桜が見えた。
これがオカメザクラ。今までこの時期に来たことがなかったので気が付かなった桜。
オカメザクラ(おかめ桜)
花は淡い紅色の一重咲き、マメザクラに似て小輪です。花が下向きにつくのが特徴です。
樹高は成長しても3m程度でコンパクトに育つので小さめの庭でも栽培しやすい品種です。
イギリス人のコリングウッド・イングラム氏がマメザクラとカンヒザクラを交配し、1947年に誕生したのがオカメザクラです。 イギリス生まれのサクラがあること、そしてイギリスにもサクラの研究家がいたとは想像しませんでした。
おかめといえば福笑いでおなじみの笑顔を思い出す方が多いと思いますが、古くは美人を表す言葉でした。ソメイヨシノに比べると花はずっと小さく花径1.5cmほど。 しかし、濃いピンクの花弁と紅色のがくが美しく、下向きに咲く姿には風情があります。それを美人の姿に重ねてコリンウッド氏がおかめと名づけたのでしょう。
オカメザクラを堪能して西ゲートに戻り、いつもの木の実の採集コース、国際庭園から山の広場へ。ここにカワヅザクラがあった。
カワズザクラ
河津桜の原木は、河津町田中の飯田勝美氏(故人)が1955年(昭和30年)頃の2月のある日河津川沿いの冬枯れ雑草の中で芽咲いているさくらの苗を見つけて、現在地に植えたものです。1966年(昭和41年)から開花がみられ、1月下旬頃から淡紅色の花が約1ヶ月にわたって咲き続けて近隣の注目を集めました。この桜は河津町に原木があることから、1974年(昭和49年)にカワヅザクラ(河津桜)と命名され、1975年(昭和50年)には河津町の木に指定されました。
河津桜は寒緋桜と早咲き大島桜の自然交配種で、つぼみや咲き始めは非常に濃いピンク色をしていますが、満開時はピンク色、それからだんだん色あせて散っていきます。花形は平開形で一重のやや下向き、花弁は5枚の円形で無毛です。
ヨウコウザクラ、オカメザクラ、カワズザクラ3種とも片親は早咲きのカンヒザクラでした。
山の広場から鶴見新山を経て風車の丘にでて、大花壇を望みながら帰宅につく。
早春の鉢花 2023/03/14
ヒメリュウキンカ
ヒメリュウキンカは、ヨーロッパからアジアに分布するキンポウゲ科キクザキリュウキンカ属の多年草です。
強健な性質と美しい花を持つことから世界で広く栽培されており、逸出したものが多くの地域で帰化植物として定着しています。
日本への渡来時期は不明ですが、同様に各地で野生化しているのが確認できます。
キクザキリュウキンカの和名を持ちますが、主にヒメリュウキンカの名前で呼ばれています。
リュウキンカの名前が付きますが、リュウキンカの仲間ではありません。
リュウキンカは同科キンポウゲ科の植物ですが、リュウキンカ属に分類されており、ヒメリュウキンカとは別属の植物となっています。
早春に咲く、美しい光沢の黄金色に輝く花弁は春がきたことを艶やかに訴えてくる。
植え替えるとき千切れた根が残った土で再利用した他の鉢にも繁殖してしまうことがよくある。根腐れにも強く、水は多くやっても問題なし。とても丈夫。
黄色の花と紫葉のコントラストもいい。
ムスカリ
ムスカリは草丈15cmくらいでブドウのような花を咲かせる、春の球根植物です。ムスカリはとても耐寒性の強い花で、球根は植えっぱなしでも自然分球で増え、毎年花が咲きます。
とても丈夫で球根もよく増えます。植え替えた土を道端に捨ててしまうとそこで繁殖して花を咲かすことも多い。
ムスカリの名前の語源はムスクに香りが似ていることからつけられました。ムスクとはジャコウジカの雄からとる香りを付けるための原料です。
トサミズキ
トサミズキは葉が出るよりも先に、3月下旬から4月に、5~7個の丸みのある黄白色の小花が連なり花序になって下垂します。トサミズキは四国地方を原産としていますが、特に名前が示すように高知県内の山地の石灰岩地域に多く生育しています。枝はやや太くまばらに分岐し、ややジグザグに稲妻形に伸長します。
花少し地味、もう少し花弁が大きく、花弁の黄色が鮮やかだと目立つのに。でも丸い葉っぱはハート型にもなり楽しい。
ジンチョウゲ
沈丁花(ジンチョウゲ)はジンチョウゲ科の常緑低木で、春先に小さな花が毬のような塊になって枝先に咲く。
沈丁花(ジンチョウゲ)の特徴と言えば香り高い花。「沈丁花」という名前は、花の香りが沈香(ちんこう)に似ていることと、十字型の花が丁子(クローブ)に似ていることに由来する。
今年の沈丁花の花は少し開花が遅いように感じる。
いつも、花を見るより香りで花が咲いていることに気付かされる。
春の沈丁花(ジンチョウゲ)、夏の梔子、そして秋の金木犀を合わせて三大香木と称される。
中でも早春のいい香りは季節の変わり目を特に印象付ける。
ユキヤナギは春、枝垂れた枝先の長い穂に、たくさんの花を咲かせてひときわ目を引き、花壇や公園によく植えられている植物です。
家のユキヤナギはフジノ・ピンク’で花弁の外側がピンクの品種です。
少しピンクがかった花弁はほんのりと微笑ましい。
ユキヤナギの和名は、葉がヤナギに似て、白い多数の花が、雪をかぶったように見えることからつけられました。庭木としてだけではなく、切り花としてもよく利用されます。
丈夫で毎年花を付け、種を結び、こぼれ種で他の鉢に芽を出しています。
コケリンドウ
越冬するロゼット状の根生葉が苔を思わせるほど小さく、春咲きのリンドウの中では最も小型で目立たないのでこの名がある。一年草でこぼれ種でいつも他の鉢で見かけます。
このコケリンドウは山野草展で何年前かに購入したなにかの鉢に付いてきたものです。
椿や他の鉢に雑草のように芽生えてきます。他の雑草は抜きますがこのロゼット状のコケリンドウは抜かないようにしています。
中国春蘭 2023/03/08
中国春蘭(翠一品)が咲きました。
10鉢ぐらい作っているが今年咲いたのはこの鉢だけ。
でも、4つの蕾を付けた。
部屋中に爽やかな香りがして花が見えなくても咲いていることに気付かされる。
この早春の香りのために栽培していると言ってもよい。
しばらく植え替えしてなかったので今年植え替えをする予定だったが花が上がってきたので延期に。
他の鉢も葉っぱがしっかりしてきたのでもう2~3鉢は花をつけてほしいのだがうまくいかない。
中国春蘭(ちゅうごくしゅんらん)は、一茎一花(いっけいいっか)とも呼ばれ、日本産のシュンランと同種とされるが、分類上はシナシュンラン (Cymbidium forrestii Rolfe)の名で別種としたこともある[1]。地生ランであり、春に花茎を伸ばし、その先端に一輪の花を咲かせる。花の形もシュンランに共通するが、香りはより強い。葉も日本のシュンランよりやや滑らかな感じの場合が多い。
古来から中国ではランを高貴な花と見なし、これを栽培し、観賞することが行われた。特に清朝ころより野生株から花形のよいものを選別し、それらに命名して栽培し、その優劣を競うことが行われるようになった。
山酔会 かしはら水仙郷 2023/02/12
堅下駅に9:40集合。今日は総勢7名。
駅から東へ鐸比古鐸比賣神社を目指す。
鐸比古鐸比売神社(ぬでひこぬでひめじんじゃ)
大阪府柏原市大県に鎮座する神社で、式内社「鐸比古神社」および式内社「鐸比賣神社」を祀っています。生駒山地の南端近くにある高尾山の西麓に鎮座しています。
社伝によれば当社は成務天皇二十一年の創建で、古くは「鐸比古神社」は高尾山の山頂に、「鐸比賣神社」は山麓の姫山に祀られていたと伝えられています。
その後、いつの頃か両社共に現在地に遷座したとされていますが、その年代は延暦年間(782年~806年)とも中世であるとも元禄三年(1690年)とも言われておりはっきりしません。
当社の御祭神は社名からしても「鐸比古命」「鐸比賣命」を祀ることは明らかですが、この神は記紀やその他の資料に登場せず詳細不明です。
しかし現在では「鐸比古命」については、垂仁天皇の皇子であり「和気氏」の祖である「鐸石別命(ヌデシワケノミコト)」と同一であるとする説がある程度の支持を得ています。
社名や神名にある「鐸」とは古くは「さなぎ」とも読み、これは祭祀に用いられる鉄製の鈴のことで、また弥生時代の銅鐸をも指したとも言われています。
このことから当社は銅や鉄などの金属の生産に携わった人々が金属生産の守護神を祀ったことが考えられます。
今日は天気もよく、ハイキング日和。同じコースのかしはら水仙郷から高尾山への団体ハイカーと一緒になってしまった。
ぞろぞろと旧国道170号(東高野街道)の脇にある一の鳥居をくぐって山の方へ進む。
鳥居越しに奥宮のある高尾山が見える。
鳥居からしばらく進んでいくと石段があり、ここが境内入口。
石段を登って拝殿の前には宮司さんやかしはら水仙郷を育てる会の皆様によるお接待が設けられていた。
お茶にお菓子、水仙の花の形の和菓子もあった。
神社に参拝してから右手の山道へすぐのところにトイレが有る、水仙郷や高尾山にはトイレがないので注意が必要。
山道を登っていく、低い山だが道の傾斜はきつい。
しばらく歩くときぼうの道とたにごえの道の分かれの所に水仙の群落。少し小さな株だがきれいに咲いていた。
たにごえの道を少し行くと夫婦岩の案内板、一の鳥居から見えていた、しめ縄が張られていた大きな岩らしい。
たにごえの道に戻り、なかよしの道に入り、水仙郷を目指して歩く。
なかよしの道と法善寺駅に行くひのきの道の分かれの付近がかしはら水仙郷。1月24日の大寒波の強風が花をなぎ倒したそうで少し花は少なく、少し寂しかった。
ここから、ひのきの道に入りみはらしの道から高尾山山頂を目指す。
みはらしの道の手前にも水仙がここの水仙は強風の被害から逃れられたのかきれいに咲いていた。
途中Oリーダーからヤマコウバシの木の説明があり、孫の受験のために落ちない葉っぱを持って帰る人もいた。
途中、大きな岩がたくさん見られた。
また、巨木のエノキに圧倒された。
山頂手前の大きな岩の前で昼食となった。
Oリーダーもトイレがないので瓶ビールは無し。少し盛り上がりのないランチとなった。
昼食後、三角点のある山頂に登り、東側の道路に出てみはらし広場の方に歩く。
道路をもう少し進み、きぼうの道に入る。
南パノラマ展望台では大阪市内や大和川が広大な視野で素晴らしい眺めだった。
くつろぎの道に入り、大きなエノキの横の木のデッキ横を過ぎ、途中水仙の群落を見ながら鐸比古鐸比賣神社に戻る。
ここで少し休憩し堅下の駅14時30分ごろ到着。
今日は天気が良すぎ、最高温度も高く、汗ばむ山行だった。
深江郷土資料館別館 重宝苑 2023/1/10
大阪府民カレッジ東大阪校の新年の講座、午前は大道芸南京玉すだれと泥鰌掬いと布施戎神社に初詣。ご利益はあるだろうか。
午後は深江探訪。午前中はかぜが強く寒かったが、午後は風も収まり街歩き日和となった。
深江郷土資料館を館長の案内で見学したあと、北西に隣接する別館の庭園を見学することができた。
2022年3月7日の朝日新聞の朝日デジタル版に別館の話が載っていた。
昭和初期の趣が残る築86年の日本家屋が改修され、大阪市東成区の深江郷土資料館の別館として一般公開されている。資料館を管理・運営する一般財団法人が、地域の活性化に役立ててもらおうと個人宅だったものを使ってオープンした。
別館は資料館の隣にあり、敷地面積約570坪。江戸時代に庄屋を務めた地元の幸田家が長年個人宅として使用してきた。
不動産屋に売りに出たことを知った資料館代表理事の石川健二さん(73)が「地域の貴重な財産だ」として、2020年に購入。屋根瓦や日本庭園の改修を経て、今年2月3日に別館として開館した。
木造2階建て家屋は1935(昭和10)年の建築だ。入り口付近に設けられた貴賓玄関には長さ約2・5メートルの一枚板の上がりかまちがあり、資料館事務局長の金谷一郎さん(66)は「当家の風格が堂々と示されている」と話す。
屋内の8畳間の欄間は、日本刀の鍔(つば)を埋め込むなど凝ったつくりで、このほかにも部屋ごとに違った欄間が楽しめる。
日本庭園は、コイが泳ぐ池や、約2メートルの大きな敷石、高さ約3メートルの石灯籠(いしどうろう)などを配置。金谷さんは「眺めているだけでも心が落ち着く空間に仕上がっています」と説明する。
石川さんは「一度壊してしまうと再現は難しい。深江の文化や大阪の文化を広く知ってもらえるように活用してもらえれば」と話す。
今後、家屋内でイタリア料理が堪能できるレストランやカフェスペースを設ける予定だ。
別館の家屋は現在、文化財登録にむけて申請中で、今夏ごろの登録を目指している。資料館の西隣にあり、見学は事前連絡が必要。無料。写真撮影もできる。
問い合わせは資料館(06・6977・5555)。(松永和彦)
別館の名前は重宝苑。
重宝は【ちょうほう】と読むと便利で役立つ・使い勝手が良いだが、【じゅうほう】と読むと貴重な宝物・大切な宝物の意味。もちろん、【じゅうほうえん】とよむのだろう。
入り口の重宝苑の表札がかかっている塀は築地塀か。細い飴色の竹囲いが美しい。
このような形式の築地塀は見たことがない。
入ってすぐ左にカフェスペース。テイクアウトもできるみたい。
伝い石沿いに北側へ、北側の切り石の延段の周りは芝や矮性リュウノヒゲではなく、レモンタイム? 日本庭園にハーブが溶け込んでいる。
北側の小さな筑山は松を中心に石組み、下草は伝統園芸植物の品種物のツワブキが施されていた。
重厚な扉の蔵は存在感がすごい。対象的に主屋の北入口は軽やかに映る。
南の主庭に戻る。
主庭は滝組から流れがあり、小さな池には大きな錦鯉が泳いでいる。
大きな春日灯籠が目を引く。手水鉢も素敵。立派な日本庭園だ。
また、庭と屋敷の部屋を結ぶ靴脱ぎ石は様々のものが見られ、このような立派な靴脱ぎ石はなかなかお目にかかれない。
イタリヤレストランは営業されているが完全予約制で6名のみの受付らしい。
家に帰ってからネットで詳細を調べたが何もわからなかった。
文化財登録 深江郷土資料館別館(旧幸田家住宅)
○名称及び建築年代
深江郷土資料館別館(旧幸田家住宅)
主屋:昭和10年(1935)/令和2年改修
土蔵:昭和10年(1935)/同後期・令和2年改修
乾蔵及び塀:昭和10年(1935)/令和2年改修
表門:昭和10年(1935)/令和2年改修
○所在地
大阪市東成区
○登録基準
主屋:基準(二) 造形の規範となっているもの
それ以外:基準(一) 国土の歴史的景観に寄与しているもの
○建造物の説明
幸田家は奈良街道沿いの旧深江村に所在し、江戸時代には庄屋を務めた旧家で、明治時代以後も深江村の村政に関わってきました。
今回屋敷地に残る主屋を始めとした4件が登録されました。昭和10年に建築された主屋は木造2階建てで、1階は主として接客用の空間とされ、格式ある広間や茶室が設けられています。一方、2階は家族の生活空間とされ、中廊下を通して小規模な部屋を並べています。座敷廻りの意匠にもこだわった近代和風住宅です。
土蔵・表門・乾蔵は道路に面して一列に建ち並び、表門の扉に用いられた八双金具※などから幸田家の格式がうかがえるとともに、深江集落の昭和初期の景観を維持しており貴重です。
※八双金具:門扉などの装飾として用いる金具で、一端が二股になり八字形をなすため八双という。
タイワンモクゲンジ 2022/11/27
昨年、大阪高齢者大学校自然を楽しく学ぶ科を受講した。
我班は自主活動で大阪高齢者大学校の教室のすぐ西側にある難波宮跡公園の樹について調べることになった。
難波宮跡公園には基壇は復元されているが建物は無く、芝地(草地)がほとんどで樹は少ない。
しかし、植わっている樹は日当たりがよく密集していないので盆栽を大きくしたような樹形の立派な気もある。
下見に行ったとき、見なれない(見たことのない)樹があった。
家に帰り、ネットで調べてみたら、それはタイワンモクゲンジという樹であることがわかった。
次の日にカメラを持って詳しく見てみた。
その時は、花はほとんど落ちていてピンク色の実がたくさんなっていた。
調べてみると、タイワンモクゲンジはゴールデンレインツリーという別名もあって、黄色の花弁がサクラの花吹雪のように散るらしい。
黄色の花吹雪、これはぜひ見てみたいと思い、今年は花の咲く前の9月中旬から足繁く通うことになった。
9月21日
蕾はたくさん確認できたがまだまだ咲きそうにない。
9月28日
少しだけ蕾から黄色い花弁がちらほら見える。
10月1日
樹全体が黄色い花で包まれ始める。
10月4日
ほぼ満開状態か
10月8日
黄色の花弁がより鮮やか。
10月12日
花弁の黄色が濃くなる。花弁が少しずつ落ちてくるが花吹雪とはならない。
10月15日
花の蜜を吸いに来るのか蜂などの昆虫が見られる。
10月20日
花は終わりに近く、小さい赤い果実が見られる。
10月24日
もう黄色の花は見えない、果実がホオズキ状になってきた。
11月3日
色づいたホオズキ状の果実が目立ってくる。
11月26日
昨年に比べ、果実の数は少ない。
角川選書 鶴田知也 百草百木誌の中にまるばのもくげんじ(円葉樂樹)の記事があった。
東京都下、高尾山麓の小川の岸にあるらしい。
これはタイワンモクゲンジよりも珍しいみたい。
灯びとの集い 2022/11/12
灯しびとの集いについて
ごあいさつ
「Craft」とは、機械生産に対しての手仕事、と表現される。
元来モノを大量に必要とした時代が来る前には
Craftという言葉は無かったのかも知れない。
そのくらい人がモノを作るということは当たり前のことなのです。
当たり前で無くなりかけている時代に、その当たり前のことを生業とし、
人々の暮らしの中に小さな”思い”という明かりを灯す人たちがいます。
彼ら彼女らと触れ合い、モノが持つ物語に耳を傾けることで、
人の暮らしが少し豊かになり、モノに対する価値感も変るのではないでしょうか。
堺という街は日本の工芸を育てた「茶の湯」に縁が深く、
また古くは世界各国から様々な文化が水揚げされた
情報の窓口としての中心地でした。
再びこの場所から、人と人とのつながりをモノや食を通して
関西一円をはじめ全国にも広げて行きたい。
灯しびとの集いはそんな志を持つ人の集まりです。
灯しびとの集い 実行委員会
灯しびとの集い、この催しもコロナ禍の影響で3年ぶりの開催。
いつもは10:00頃には会場につくようにしていたが、今年は朝の家事を済ませてから家を出ようと思ったが、突然、四條畷にいる娘夫婦が訪れたので話をしていたら11時過ぎになってしまったので早昼をしてからでかけた。
13:00すぎに大仙公園に到着。
会場に入る前にお気に入りの株立の大ケヤキにご挨拶。
今年は少し紅葉が早いみたい。
会場に入り案内のマップを¥100で購入。
各店、沢山の人で賑わっている。
30~40代の人が多いように思えた。あまり私のような高齢者は少ない。
すごく混んでいる店。もう商品があまり残っていない店。
私の興味は木工と漆器。でも、どの商品も桁が一つ違うのではないかと思うぐらい高価。
実用品というより美術品。
ものはすごく良い、長く使えそうなものばかりなので、大切に使って年割にすると高くはないのかもしれないが、高齢者には買えない。
もっぱら、目の保養に勉める。
キャンドルの店も2軒出ていたが前に出店していた和蝋燭の店は出ていなかった。
天然素材の染色、布の店も興味はあるが値段を見ると・・・。
もう、100軒も店があるとざっと見るだけでも疲れる。
物事に集中できる時間は年とともに短くなっている。
今年は購入予算も無いので来年はじめのワークショップに使う紅葉した葉を採取する。
美しい小さな葉をセレクトしながら採取するがこれも集中力が入、目が疲れる。
サクラとケヤキは葉をゲットして帰ろうとしたら、ムクノキ葉でまだ色が残っているものを見かけたので少し採取した。
紅葉した葉っぱをラミネートして作る栞は葉っぱを採取するタイミングが難しい。
東大阪歴史散歩の会 藤原京と天の香久山 2022/10/30
9:00近鉄西大寺駅に集合。西大寺発9:22で橿原神宮前駅9:53着の案内。
8:45に西大寺に到着。駅の待ち合わせ場所に行くと私は参加者の一番最後。
すぐに柏原神宮前行きの急行に乗ることになった。
相変わらず、先生はイラチ?
最初に畝傍山を望む橿原神宮へ。
橿原神宮は30年ぐらい前、業者間の初詣と新年会が毎年あったところ。感慨深い。
神宮をお参りした後若櫻公園に、若櫻公園は初めて、こんなところに海軍の戦没慰霊碑があるなんて知らなかった。
ここから近鉄畝傍御陵前の踏切を渡って本薬師寺跡へ。
大きな基石と小さな敷地とのギャップが大きい。
お堂の向かえに庚申信仰か猿の石像があった。
少し寂しい。何かもっと印象付けられる整備はできないものか。
この本薬師寺跡には人が住んでいる。不思議な感じがした。
飛鳥川を渡り、飛鳥川沿いから天岩戸神社へ。
天岩戸神社の手前にミルク工房飛鳥がある。
ここのアイスクリームは有名で山酔会で春の訪れたときリーダーにおごってもらった。
しかし、この会では買い食いは無理と思っていたが、先生から案内があり、全員買って食べることになった。
こんなことはまず無い会なのに。
アイスクリームは後味がスッキリしていてとても美味しい。税抜き350円也。
ミルク工房の前に大きなクスノキ。幹肌の瘤が珍しい。こんなクスノキは見たことがない。
天岩戸神社に、天岩戸神社は各地にあるがここはこじんまりしていて微笑ましい。
ここから天の香具山へ、今回唯一の山登り、頂上の「国常立神社」の小さなお社の前でお昼。
ここから耳成山と畝傍山が美しく望める。
名勝 大和三山 香具山
奈良盆地の南部に位置する、香具山(152.4m)、畝傍山(199.2m)、耳成山(139.7m)の三つの小高い山を総称し、大和三山と呼びます。香具山は桜井市の多武峰から北西に延びた尾根が侵食により切り離され小丘陵として残存したもので、畝傍山と耳成山は盆地から聳えるいわゆる死火山です。
三つの山は古来、有力氏族の祖神など、この地方に住み着いた神々が鎮まる地として神聖視され、その山中や麓に天香山神社、畝火山口神社、耳成山口神社などが祀られてきました。まあ、皇宮造営の好適地ともされ、特に藤原京の造営に当たっては、東・西・北の三方にそれぞれ香具山・畝傍山・耳成山が位置する立地が、宮都を営むうえでの重要な条件にされたと考えられています。
大和三山を詠んだ和歌は多く、重要な歌枕として鑑賞上の地位を確立したほか、近世の地誌、案内記、紀行文などでも紹介され、万葉世界を代表する名所として、広く知れわたるようになりました。
香具山は伊予風土記逸文に「天から降ってきた」という伝承が残っており、「天の香具山」とも呼ばれます。万葉集において「天」という美称がつけられた山は香具山だけで、このことから多くの山の中でも特別な位置付けを持っていたと考えられます。
説明看板より
昼食後、天の香具山を下ったところにある、奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室に。
前回訪れたのはトイレ休憩で展示のところまで行かなかった。
今回は展示場所に行き、たくさんの出土品や案内のパネル等じっくりと見て回った。
特に屋根瓦の種類、量共すごい展示がなされていた。少し感激。
藤原京跡へ、遠目からもコスモス畑が美しい。
藤原京跡には朱雀大路の朱雀門跡から入り、大極殿跡へ。
朱雀門跡の横にイチイガシが植えられ、奈良大和のイメージをもりあげてくれる。
藤原京から大和三山を望む。
女の人たちはコスモスの夢中。でも先生は大極殿の発掘現場がお目当て。
今日の会はこれまで。
藤原京跡から耳成山を登るという人と別れて、3時頃近鉄八木駅に出て帰宅。
今日も天気に恵まれて、心地よい汗と疲労感で終わることができた。
水都おおさか森林(もり)の市 2022/10/23
コロナ禍の影響で中止だった水都大阪森林(もり)の市が3年ぶりに開催された。
「森林の市」では、森林の恵みや木に触れることで、森林と人とのつながりを実感し、森林・林業・木材産業の果たす役割や木材利用の意義、農山村の現状について理解を深め、豊かな森林資源を次世代に引き継いでいくことを目指しています。
いつも通り自転車で行こうと思っていたが昨日から娘と孫が来ていて、行きたいと言われた。
そのため、JR環状線で桜の宮に行くことになった。
10時過ぎ会場に到着。
気持ちの良い秋空のもと、少し寒いかと思ったが暑いぐらい。
早々に上着を脱いでしまった。
桜の紅葉が少し始まったぐらい。天気は上々、もう、多くの人で賑わっている。
まず、店先のダンボールに入った無料の木片が置いてあったので6片ゲット。
木の実のクラフトの土台に良さそう。
西日本のあちこちから林業関係のブースがたくさんある。
娘と孫はウグイスやカラ類の鳴き声の木製の笛がお気に入り。
いろいろな材がある中、ナツツバキの材の笛を購入。1000円なり。
他のブースでよく似た笛も売っていて、こちらは200円。
どう違うか買ってみたが、音色、鳴り方、響きは雲泥の差。
私は岡山県新見市の新見の木づかいと木育の会「木の葉art」が目についた。
たとえ、木の葉に包むささやかな物でも真心がこもっていれば、相手に誠意が伝わる贈り物になるという意味のことわざ。「志は松葉」
わたしたち木の葉artの名前の由来になった言葉です。
新見の豊かな里山から生まれた木。
わたしたちができることは、ささやかなことかもしれませんが、この木を使い、真心を込めて活動していく中で、楽しみ、優しさ、温かさ、元気な活力など、木を通して育まれる豊かな感性を、みなさまと共にきづいていきたいと願っています。
わたしの作るどんぐりストラップや木の葉の栞もささやかの活動として続けられたら良いと思いました。
他にもいろいろなワークショップがあり目移りした。
その中で直ぐに出来そうなものがあった。
一つは針金をバネ状に加工し、バネに沿ってどんぐりのヤジロベエが回りながら落ちていくもの。動きがあり面白い。
もう一つは木の葉の葉脈(ヒイラギモクセイ)を名刺サイズにラミネートして栞を作るもの。
葉の葉脈標本はすでに作ってあってただレイアウトしてラミネートするだけ。
葉脈標本の代わりに紅葉した落ち葉を使えば私がいつも作っている新しい名刺サイズの栞と同じ。
最後にクレソンと刺身コンニャクを買って、森林の市を後にした。
山酔会 コスモスの斑鳩の里を歩く 2022/10/21
10:00 JR王寺駅集合。今回は東成組、総勢7名。
JR王寺駅北口から東に大和川の昭和橋に出る。
途中の道路の歩道にはたくさんの動物の彫刻が設置されて目を楽しませてくれる。
昭和橋から竜田大橋への道は国道25号線沿いだと単調で面白くないので、大和川沿いに歩き、住宅地の中を行く。
三室山の横を通り竜田川に出て、竜田川沿いに整備された県立竜田公園の中を通って竜田大橋に。
竜田大橋を渡り、東に行くとそこは竜田の古い町並みが続く。
すぐのところには酒蔵が、続いて格子のきれいな重厚な建物が多く見られる。
街並みの趣のある建物を見ながら歩くと、大きな神社が見えた。
ここが龍田神社。
歳神が龍田彦と龍田姫の風神であることから風宮とも言われる。このあたりは古代、板戸郷と呼ばれる所で郷民たちは大和猿楽の四座の一つ板戸座を起こし、現在この板戸座を源流とする能楽・金剛流の発祥の地として境内に碑が建てられている。
拝殿の色がクリーム色で少し違和感があった。
境内には大きな神木のクスノキもあって歴史を感じさせる。
お参りした後、斑鳩町役場の西側を通って藤ノ木古墳へ。
美しい円墳が秋空に映える。
ここから法隆寺はすぐ。斑鳩のいにしえの道の三塔の一つ、法隆寺の五重の塔を仰ぐ。
法隆寺
聖徳太子が建立した寺院として1400年の時を越えて受け継がれ、世界最古の木造建築として、日本で最初に世界文化遺産に登録された。
法隆寺の中には入らず境内の屋根のある休憩場所のベンチで恒例の酒付きの昼食会。
今日の飲み物はシャルドネの白ワインを中心に。
落花生(おおまさり)の塩ゆでをアテに。
食事の後、夢殿へと思ったが。手前の道を北へ、天満池を経て斑鳩神社に。
斑鳩神社から2つ目の塔がある法輪寺へ。
法輪寺
三井寺とも呼ばれ、622年に太子の病気平癒を願って、その息子山背大兄王らによって建立されたと伝えられる。創建時の三重塔は1944年落雷で焼失したが、1975年に再建された。
ここでも境内には入らず、お寺の周りをグルっと回って三重塔を見る。
お寺の東側の三井神社の前が三重塔のビューポイント。
ここで昼の残りのワインとマテバシイの煎りどんぐりでまた、喉を潤す。
小休止の後、コスモスの咲く法起寺へ。
法起寺
聖徳太子が法華経を講説した岡本宮を山背大兄王により寺に改められたものと伝えられており、池後寺、岡本尼寺とも呼ばれる。
現存する日本最古の三重塔があり、法隆寺と共に世界文化遺産に登録された。
コスモスの花と三重塔とのコラボ、対比に目を奪われる。
ここからJR大和小泉駅へ。
農地の里道ではリーダーのO氏による野草の観察会。
イチジク畑やイチゴのハウスの傍を歩く。
サクラタデ、イヌタデ、トキワハゼ、ヒレタゴボウ、ワルナスビ、イヌホオズキ等説明を聞くが、なんせ高齢者揃い、聞いた端から忘却の彼方へ。
富雄川を渡り、15:00頃大和小泉駅に到着。
天気が良く、美しい雲に彩られた秋空の下、気持ちの良い充実した会になった。
東大阪里山クラブ 眼鏡山と森の宝島 2022/10/09
2~3日前の天気予報では午後からは雨。しかし、前日の予報では9時には傘マーク。
このクラブは普通の雨なら決行するので心の準備はできているが気は少し重い。
四条畷駅は娘夫婦の住んでいる最寄りの駅で娘と孫など5人で四条畷神社から飯盛山の途中まで行ったことがある。
9:00,JR四条畷駅集合。駅にて今日の資料と注意点を聞いてから駅を出て四条畷神社に向かう。
まだ雨は降ってこない。南の空は少し明るい。しばらくは大丈夫、午前中は持ってほしいと願う。
四条畷神社で最初のトイレ休憩、神社の拝殿の手前から西側を通り、北西の細い参道から住宅地に出る。
道を北に進み、住吉平田神社の前を通り、国道163号清滝生駒道路を渡る。
国中神社へ、ちょうど秋お祭りでだんじりの鐘の音とともにたくさんの人で賑わっていた。
国中神社をあとに旧清滝街道を東に進む。
立体交差の国道の下を通り、清滝川を少し登る。
川の中に木通の実が見える、美味しそうだが見るだけ。
まもなく、地蔵堂のある小さな橋を渡る。ここが眼鏡山の登山口。
しばらく行くと祭壇のような場所に赤い鳥居と祠、「火之神」と書いてある。
生駒十瀑、妙見の滝に出る。落差13Mの趣のある滝だが左側の崖が崩れて滝の下に木や土砂が堆積したままであった。
滝の右側を上がったところに白竜大神の石碑と祠があり、祠には不動明王が祀られている。
ここから眼鏡山の頂上を目指す。
作業用の裏道があるということで探すがよくわからない。
滝を巻き上がり、砂防ダムに出てここを右手に法裾の細い道をゆくが、ここらへんの土は崩れやすそうで小さな崩壊したところや倒木があちこちで見られる。
滑りやすく、足場が確保しにくいので、途中、この道を行くのをあきらめて、まっすぐ尾根を目指して登る。
道はないが藪も浅く、まだ歩きやすい。
雨はまだ降っていなかったのでなんとか尾根道に、尾根伝いに電波塔のあるところに出た。
ここから左に山道を行くとアイ・アイランドの案内標識があり緑の文化園に到着。
この頃少し雨がポツポツ落ちてきた。
正午も少し回っていたので、トイレ休憩をはさみ、昼食場所を探す。
小雨も降ってきて、森の工作館での昼食となった。
昼食後、雨は強くなり、この先も降り続けると思われるので、むろいけ園地には行かず、蟹ヶ坂ハイキングコースで出発地であるJR四条畷駅に戻ることにした。
途中、御机神社の中を通り山道を経て四条畷神社にもどり、15時前にはJR四条畷駅へ。
なんとか午前中、雨が保ってくれたおかげで良い道行になった。
歴史散歩の会 紀伊・風土記の丘 2022/09/25
久しぶりの東大阪歴史散歩の会。紀伊・風土記の丘に参加する。
JR天王寺駅5番ホーム8:30集合。
最寄りの大阪メトロ今里駅より谷町9丁目を経由して行こうか、鶴橋で環状線に乗り換え天王寺に出るか迷ったが、乗り継ぎが短いと思った、鶴橋経由を選択。
8時過ぎに天王寺駅のホームに到着。5番ホームに行こうとするが乗換案内版に紀州路快速は15番ホームとある。
熊野古道1回目を参加したときは15番ホーム待ち合わせでそこから乗車。
5番ホーム集合もうろ覚えのため15番ホームへ。
だが、15番ホームには誰もいない。リーダーはいつももっと早くこられている。
一人だけ顔を覚えていた人に出会い、確認のため5番ホームへ。
5番ホームにはリーダー以下何人かの人が集合していた。
受付のサインをして、すぐに15番にいるひとに連絡のため、戻る。
5番ホームでの集合であったが8:42発の紀州路快速和歌山行きは15番ホーム発。
今回の道行は前途多難か?
9:52和歌山駅に到着。和歌山バスにて紀伊・風土記の丘へ
バスは狭い道路を車体を軋ませながら結構なスピードで走る。
よく事故が起こらないものだと感心する。
和歌山バスも大阪市の敬老優待パスが使用できた。乗下車がスムーズで便利。
バス停から資料館への道は大きな並木道で、両側に復元された埴輪の出迎えを受けながら進む。
入口横に古墳時代のクスノキの巨木の切り株、大きさに圧倒される。
資料館は外壁に緑泥片岩を小口積みしたシックな装い、窓格子の模様は銅鐸の文様の渦文を図案化したものが用いられ、風土記の丘の期待が高まる。
しかし、しかし資料館は令和4年9月23日(金)~9月30日(金)まで展示替えのため休館。入場料190円は65歳以上無料なのに。
資料館で貰えるはずの配布資料が手に入らない。残念。
気を取り直して史跡公園内へ。
直ぐ側の復元竪穴住居へ、古墳時代の生活が体験できる場として整備された。
復元にあたっては、音浦遺跡で発掘された古墳時代後期の竪穴住居跡を元に研究成果や各地の復元住居を参考に施工された。
次に移築民家旧小早川邸を見学し、1号園路を登る。
急坂の両側には岩橋千塚古墳群の前山A古墳群が点在する。
何箇所の古墳の石室を巡る。
石室はここで産する緑泥片岩が使われ、玄室、通廊、前室、護道からなる構造は特徴的で岩橋式石室と呼ばれる。
今日も小さなLEDの懐中電灯をしのばせていたので中を照らしながらの見学。
しかし、帰ってパンフレットを読み返してみると照明を設置しています、入り口にスイッチが有り、約2分後に消灯しますとあった。
照明の器具は見えていたのに使用することはなかった。残念。
同じような石室を見学、しかし、復元埴輪が設置されていたA58号墳は見過ごしてしまった。残念。
途中、野ブドウの青い実が涼しげ。
1号園路に戻り、展望台から将軍塚古墳へ。
将軍塚古墳の石室を見学してから知事塚古墳、部長塚古墳を経由して、県内最大規模の前方後円墳の大日山35号墳へ。
ここにはたくさんの復元埴輪が設置されインスタ映えするスポット。
12時をかなりすぎ、大日山古墳を少し降りたところで昼食。
昼食後、1号園路を資料館の方に下る。
途中、花木園、万葉植物園を経由し、資料館に戻り終了。時間は14時ごろ。
バス停に戻る。眼の前をバスが出ていく。バスの時間は1時間に1本。残念。
バスで帰る人4人を残し、歩いていけそうなJR田井ノ瀬駅を目指して7人が行く。
約30後、田井ノ瀬駅の西側の踏切が鳴っている。駅には和歌山行きの電車が止まっている。
突然踏切が空いたので慌てて、踏切をわたり、駅に向かうが虚しく電車は出てしまう。
田井ノ瀬駅につき、時刻表を確認する。
14時29分発の電車が出たとこ、次の電車は1時間後。
何にもない無人駅でただただ1時間を過ごす。残念。
1時間後やっと来た電車に乗り、次の駅和歌山駅へ。
和歌山駅では着いて3分後に大阪行きの紀州路快速が出るらしい。
慌てて、乗り継ぎ、やっと一息つく。
今回は残念の多い道行だった。日頃の行いはこんなにも悪くないと思うが。
進むインフレ【事実上の放棄】 2022/07/05
今日の朝日新聞に気になる記事が載っていた。
上智大学教授 香取照幸さんに聞く
見出しに踊る文字、
【社会保障費カットも増税も非現実的】
【借金大国 向き合ってこなかったツケ】
物価高の一つの原因は円安。
円安の原因は日米間の金利の違い。
借金依存の日本では金利を上げたくても上げられない。
なぜなら、日本国債の金利が上がると日銀はそれだけたくさんの利息を払わなければならない。
今の日本政府の1200兆円の借金は返済の利息も馬鹿にならないのです。
インフレ対策として歳出を膨らませるのは結果的に借金を増やすだけです。
絶望の日本経済の状況にやっと気が付きました。
参議院選挙の候補者も場当たりばかりの公約で当てになりません。
これからどうなるのでしょうか。
東大阪歴史散歩の会 平城宮跡から西の京 2022/06/26
近鉄西大寺駅 2階案内コーナー前9:00集合
今日は曇り空。でも、雨の気配はあまりない。でも気温は高そう。
今日もたくさん歩くので日差しはいらない。
8:35ごろ近鉄西大寺駅に到着。
奈良市に長く勤務していたので西大寺はしょっちゅう利用していたがここしばらくはごぶたさ。
1階のプラットフォームから2階へ上がる。
駅舎は改装されていて駅ナカの店がいっぱい。
まるで違うところに来たみたい。
2階の案内コーナーはどこ?
改札内か改札外かもわからない。
とりあえず、駅でトイレを済まそうと。
トイレを出てふと見ると見なれたメンバーが集合していた。
よかった。ひと安心。
すぐに、改札を出ていたら集合場所はまったくわからなかっただろう。
参加費を支払い、資料と平城宮跡歴史公園のパンフレットをいただく。
9:00リーダーから注意事項等説明を受けた後出発。
平城宮跡歴史公園は近鉄電車からは数え切れないほど見ているが、歩いていくのは初めてである。
西大寺駅の北口から東へ。はじめに平城宮跡資料館へ。
平城宮跡資料館は2010年にリニューアルオープンし、奈良文化財研究所の60年以上に渉る調査をもとに展示。
1. ジオラマ・映像による再現
2. 発掘調査の出土遺物の展示
3. 遺物や遺跡の保存・分析方法の紹介。
宮殿復原展示や遺物展示コーナーも充実していた。
続いて大極殿へ。
大極門南門の工事は終わりかけ、仮設の覆いの大きさにも驚く。ここは国土交通省。
10時前でまだ、大極門は公開されていなかったので大極殿へ。
大極殿は文化庁。
高欄に色玉の宝珠が据えられていた。このような高欄を見るのは初めて、気品を感じた。
中には高御座のレプリカ、金色に輝く鴟尾が展示。
小壁には上村淳之画伯の四神・十二支の彩色画が。
すべての動物はとても優しく可愛く描かれている。
大極殿から東に、遺構展示館へ。ここも文化庁。
北棟は建物の柱穴、南棟は建物の基壇や通路。遺構露出展示がされていた。
役所の建物跡で役人たちの仕事ぶりが想像される。
ここから南の東院庭園にここも文化庁。
平城宮跡の南東隅に大きな庭園の遺構が発見され、復原された東院庭園。
敷地の中央に複雑な形状の大きな池があり、現在の迎賓館として利用されたらしい。
この頃にこのような素晴らしい庭園が作られたことに大きな驚きを感じる。
東院庭園から西に朱雀門に向かう。途中の草地(芝生地)のなかにネジバナ、ブタナ、アザミの花が彩りを添える。
近鉄奈良線の踏切を渡り、朱雀門へ。
朱雀門の階段の段差は大きく、上り下りは結構たいへん。
朱雀門を通り、いざない館へ。
いざない館へ、ここは国土交通省で平城宮跡管理センターが管理。
展示室は1・2・3・4。
平城宮跡のいま、ようす、往時の営み、時をこえて。
時空を超えて奈良時代の平城宮を体感し、出土品や資料におどろき、多彩な体験を通じて平城宮跡の魅力を深い理解できる施設。
昼時になったので屋外の広場でお昼ということだったが日差しが強く、炎天下での昼食はかなり無理。
いざない館の西側の庇のあるテラスで昼食となった。
ちょうどテラスの前に棚田嘉十郎の像があり、平城宮跡保存のキーパーソンだと初めて知った。
昼食後朱雀門ひろば西の復原遣唐使船を見学、鑑真和尚の思いに気を馳せる。
船の大きさは思ったより大きく見えたり、小さく見えたりし不思議な感じの船だった。
最後に天平みつき館でトイレ休憩を取り、平城宮跡公園を後にした。
「平城宮跡」「平城宮跡歴史公園」は国営公園区域、県営公園区域、文化庁管理区域、奈良文化財研究所管理区域、ごくわずかに奈良市管理区域(旧朱雀大路緑地が奈良市所有であった名残か)が混在している状況となっている。
国営公園化区域で開園していない部分でも、国営公園化による追加整備が行われていないというだけで、文化庁や奈文研によるこれまでの整備により公園としての利用は可能であり、かつ国営公園側の公式サイトでも一体的に紹介されています。
国営公園開園区域、県営公園開園区域においてはそれぞれで指定管理者が決められておりそれぞれで運営されている。
【敷地】
国営平城宮跡歴史公園 開園区域(朱雀門ひろば平城宮いざない館、第一次朝堂院など)他各所 (国土交通省)
県営平城宮跡歴史公園 開園区域(朱雀門ひろば交通ターミナル、天平4館)奈良めぐり平城宮跡前駐車場 (奈良県)
平城宮跡資料館周辺 (奈良文化財研究所)
朱雀門ひろばのごく一部分 (奈良市)
そのほかの敷地(鉄道、道路等を除く) (文化庁)
【施設】
【朱雀門ひろば内】天平いざない館、朱雀大路、二条大路。第一次大極殿院復原事業情報館、南門復元工事見学デッキ、第一次朝堂院。 (国土交通省)
【朱雀門ひろば内】交通ターミナル、天平うまし館、天平みつき館、天平みはらし館、天平つどい館、遣唐使船復元展示。奈良めぐり平城宮跡前駐車場。 (奈良県)
平城宮跡資料館 (奈良文化財研究所)
第一次大極殿正殿、復元推定宮内省、遺構展示館、東院庭園、朱雀門 (文化庁)
【担当部署と指定管理者など関係機関】
<国営公園区域>
国土交通省出先機関
→国土交通省近畿地方整備局公営飛鳥歴史公園事務所平城分室
国営公園指定管理者
→飛鳥・平城宮跡歴史公園サポート共同体
(平城宮跡管理センター)
<県営公園区域>
奈良県担当部局
→奈良県県土マネジメント部地域デザイン推進局平城宮跡事業推進室
県営公園指定管理者
→平城京再生プロジェクト
(県営平城宮跡歴史公園管理事務所)
平城宮跡バスターミナル、奈良めぐり平城宮跡前駐車場
→奈良公園団体バス予約センター
(朱雀門ひろば交通ターミナルを含む)
RVパーク平城京朱雀門ひろば
→経営・運営:農事組合法人大和の里
奈良バイクシェア
→株式会社ドコモ・バイクシェア
広大な平城宮跡歴史公園を見学して各施設の関連性が薄い気がしたのは敷地の周遊者や管理者が混在しているからか。
まだ整備されていない場所の将来の形は。
現在の自然環境、生態系は守るべきか。
SDGsに基づいた計画は。
課題は多いと思われる。
菅原町の喜光寺へ。本堂が立派で東大寺大仏殿のミニチュア版「試みの大仏殿」とよばれた。
境内には蓮の鉢がたくさん栽培されていた。夏には参道と本堂の周りを様々の種類の蓮で飾られる。
喜光寺の西側には晩年を喜光寺ですごした興福寺一乗院宮の陵墓がある。
南に下り、垂仁天皇陵へ。
全長227Mの前方後円墳、満々と水をたたえた濠に囲まれた巨大な古墳。
溢れんばかりの水も美しかった。
垂仁天皇については初めて埴輪を作らせたという逸話も日本書紀に記されている。
また、垂仁天皇は田道間守に命じて常世の国に遣わし、不老不死をもたらす(非時香果)「ときじくのかぐみ」を求めさせ、持ち帰ったのがタチバナで日本の柑橘類の始まりになったと言う伝説がある。
唐招提寺、玄獎三蔵院、薬師寺を通って、近鉄西ノ京駅に。
3時過ぎ、ここで解散となった。
長居植物園のアジサイ 2022/06/17
TVで各地のアジサイの花が見頃と盛んに放映している。
梅雨の晴れ間、早昼を済ませて、長居植物園のアジサイを見に出向いた。
長居植物園は昨年の秋から3月まで改修のため休園していて、昨年は葉っぱの栞を作るためのきれいに紅葉した葉を採取することができなかった。
葉っぱの栞ではハート型をしたカツラの葉は他の公園緑地ではあまりないのでここのカツラ並木は貴重である。
カツラは少し暑さに弱いので、なかなかきれいに紅葉した葉をゲットすることは難しい。
今年のカツラの木の葉っぱの状態を確認しながらあじさい園に向かう。
アジサイは遠くからもたくさんの花が咲いているのがわかる。
しかし、多くの人が鑑賞に来られていて、人を避けたあじさい園の写真を撮ることは難しい。
アジサイ園では見頃の花が多く咲いている。
品種改良されたハイドランジア、ガクアジサイ、アナベル等きれいに咲いている。
しかし、家で栽培しているヤマアジサイ系の花の生育はあまり良くない。
アジサイ園をぐるりと1周半、見学し堪能して馴染みのバラ園の方へ。
途中、ダリヤ園やヘメロカリス園の花が満開。芍薬園や牡丹園も新しく整備されていた。
バラ園の東側のどんぐりストラップ用のマテバシイの実の状態も確認。
天皇のお印である梓(あずさ)はキササゲとミズメの説がある。
キササゲの写真を何年か前に撮りきたので寄ってみるとアメリカキササゲの名札。
キササゲ、トウキササゲ、アメリカキササゲ、もうややこしくってパス。
その横に大きなジャガランダの木が紫色のきれいな花をいっぱい付けていた。
こんなに満開のジャガランダの花を見るのは初めて。
皆さんスマホで写真撮影。
しばらくして、白い服を着た海外の娘さんが樹の下で記念写真を撮っていた。
ジャガランダの青い花の下で白い服の妖精が戯れている様に見え、ヨーロッパ地中海の風が吹いているようだった。
東大阪歴史散歩の会 地獄谷石窟仏から高円山 2022/05/22
9:00近鉄奈良駅東改札前集合。
昨年の豪雨により予定のルートが崩壊し通れなくなっている箇所があるので石切峠や地獄谷石窟群の奥にはいけないので早めに首切り地蔵の休憩所で昼食して高円山に行く予定と説明を受ける。
まず、三条通りの有名な餅つきパフォーマンスで知られる「中谷堂」などの間近には、観光客の視線はあまり注がれていない、木で出来た多数の立て札や柱がある。
「奈良縣里程元標」と描かれており、これはかつて明治時代に日本国内の様々な「距離」を測る上での起点として各府県に設けられたものを復元したものとなっており、奈良から京都・大阪・伊勢方面への距離が記されています。
「復元」されたものとは言え、特に御高札場に関しては比較的年数が経過していることから、まるで江戸時代のものであるかのような風格も漂わせ、周辺の風景に味わいを添える存在です。
率川(いさがわ)は、春日山を源流とし飛火野を流れる細い「御手洗川」などを集めつつ、猿沢池の脇を通り、最終的には菩提川と名を変え佐保川へと流れ込む「奈良市街地を貫く」河川です。
しかし、昭和期から平成初期にかけて奈良町(元林院)エリアからJR奈良駅周辺までの区間は暗渠化(埋め立て・地下化)され、市街地でその川の流れを目にすることはほとんど出来ない状況です。
猿沢池の真横には現在も率川の流れが顔を覗かせており、周辺工事で発見された地蔵を集めた率川地蔵尊が川の中央部に設置されている。
元林院町(がんりいんちょう)は、かつて興福寺の別院 元林院があった場所といわれており、江戸時代には絵屋町とも呼ばれ、絵師の住む町として知られていた。町の北端を流れる率川(いさがわ)にかかる絵屋橋(ゑやはし)が現在もそのなごりを伝えています。
奈良町の細い通りを歩いて史跡頭塔へ。
頭等は奈良時代、藤原広嗣のたたりで死んだ僧玄昉の頭を埋めたとの伝説のため、頭塔と呼ばれていますが、正しくは、東大寺の僧実忠が国家安泰を祈って築いた土塔の跡といわれています。方形の封土を3段に築き、その4面に石仏を配列したもので、現在浮き彫りの石仏が13個あり、奈良時代の数少ない石仏群として有名です。
まず入り口にここから入るには拝観料1人300円が必要。
『史跡 頭塔』の姿は、中に入場しなくても遠目からでも見ることができる。
ピラミッド状の姿を眺めるだけならそれでもいいが、貴重な石仏の表情を見ようと思ったら中の入る必要があるが、歴史散歩の会では時間が取れないのでまたの機会になります。
高畑町を東に、柳生街道と春日山遊歩道の分岐で2班に分かれ、首切り地蔵の休憩所で早めの昼食の予定だったが話の理解の行き違いで1時間ほどロスしてしまった。
昼食後、地獄谷石窟仏の入り口までは行けるので入り口の石窟仏を鑑賞する。
史跡「地獄谷石窟仏」は聖人窟とも呼ばれ、6体が平安時代に彫られたと言われている。
洞窟の中に、今なお、彩色の残っている石仏を見ることができる。
奈良奥山ドライブウェイに戻り、高円山展望台までドライブウェイを一列で歩く。
展望台には”万葉歌碑”「高円の秋野のうへの朝霧に妻呼ぶ牡鹿出で立つらむか」(万葉集巻20 大伴家持)。 万葉学者 犬養 孝先生揮毫の歌碑があり、ここからの市街地への展望はよく、美しいが少し靄がかかっていて見通しはもう一つであった。
ここからドライブウェイを離れ、奈良大文字焼きの火床へ。
途中テンナンショウの花が咲いていて、じっくり写真を撮りたかったが参加者は慌ただしく下っていった。
しばらく下っていくと急に展望が広がった。
ここが大文字の火床。
芝生かきれいでゴルフ場の打ち下ろしのTeeに見えた。
ここからティショットすると気持ちが良いだろうなと思った。
ここでの展望は素晴らしく、若草山・東大寺大仏殿・県庁・平城宮跡がよく見える。
奈良の夏の折り返し地点とも言える「大文字焼き」。
この行事はそれほど古い歴史を持っている訳ではなく、第二次世界大戦の奈良県内の約3万人にのぼる戦没者を祀るための行事として後に奈良市長に就任した「鍵田忠三郎」氏らが創始する形で1961年(昭和36年)から実施された。
そんな戦没者慰霊の儀式として位置付けられている大文字送り火は、点火される「大」の字は高円山の1か所のみだが、「大」の字の大きさは日本最大級となっている。
大の字の1画目(横線)の長さは109メートル、2画目が164メートルとなっているなど、かなり巨大なもので、近くから見るとむしろ「大」の字がわかりづらく、遠くから見る方がわかりやすいほどの規模。また、点火される火床の数は、仏教の伝承にちなみ、「人間の煩悩」の数とされる「108個」設置されている。
ここで長めの休憩をとリ、一気に麓まで下る。
今日は早く下るレクチャーを受け、実践。18分で下ってしまった。
東山霊園を西に市街へ奈良写真美術館の前を通り、浮御堂に出て、近鉄奈良駅方面へ。
帰りに奈良町で買い物もできるということで興福寺の境内で解散。
かなり、足を酷使したので少しおつかれでした。
山酔会 枚岡神社からなるかわ園地 2022/05/05
枚岡神社鳥居に下で10:00に集合の連絡。
枚岡に行ったのは記憶にも残らないほどの遠い昔。
枚岡神社の鳥居もなにも判らないまま9:40に枚岡駅に到着。
知った顔は誰もいない。
踏切を渡り、神社に向かうとすぐに大きな石作りの鳥居。
ここかなと思ってしばらく待つが誰も来ない。
ふと、鳥居の下に車進入禁止の看板が立っており、奥の方がとても賑やか。
何か祭りがあるみたい。
これは毎年、5月5日に行われる枚岡神社の小太鼓まつりで13台の山車が宮入するらしい。
山車で賑わっているところを目指すとここにも大きな鳥居があって、大勢の参拝客、祭り方の中にいつものメンバーの顔が見えた。
今日の待ち合わせの鳥居はここだったみたい。
全員8名そろったところで山車を見ながら、枚岡神社から神津嶽コースのハイキング道を登る。
直ぐの所に姥ヶ池、しばらく登って枚岡山展望台、少し霞んでいるが、大阪ドーム・あべのハルカス・花園ラグビー場等がよく見える。
神津嶽ふれあい広場を通り、なるかわ園地休憩所へ。
ここでトイレ休憩の後なるかわ園地ぼくらの広場へ。
道すがらたくさんのウラシマソウ、自生地を見たのは始めて。
ぼくらの広場の到着、オンツツジが満開。
今日のランチはここでと言うことになった。
いつも通り、リーダーは瓶ビール、T氏は東京産の大吟醸、私は風のもりのαを持参。
皆で少しずつ味わうが今日の売れ行きはもう一つ。1/3ほど残ってしまった。
昼食後ツツジ園に、でもツツジ(平戸ツツジ)の花の盛りは過ぎていて少し残念。
途中、山の斜面にホタルカズラが可愛い花をたくさん咲かせていた。
リーダーお薦めの花だが一般の人には小さくて目に付かないかも知れない。
ホタルカズラ(Buglossoides zollingeri)
日本、中国、朝鮮半島、台湾に分布するムラサキ科ムラサキ属の多年草。
山の斜面や茂み、草原などの日当たりの良い場所に自生。花期は4月~6月。
花期になると、地面を這う茎の葉の付け根から茎を立ち上げ、頂部、または上部の葉の付け根に、小さな花を咲かせる。
花は花径1.5~1.8㎝程度で花冠が深く5裂しており、それぞれの破片には特徴的な隆起する白い線が入りる。花の咲き始めは淡い紫色ですが、咲き進んでいくと美しい青へと変化します。
らくらく登山道からなるかわ谷コースに出て、近鉄瓢箪山駅へ、まだPM 3時前であった。
リーダー以下数名はまたまた、おなじみの居酒屋へ。
私は帰ってから又、晩酌するので別れて帰宅。
今日は2万歩ぐらい、久しぶりの山行きだったのでちょうど良い行程だった。
今回の山行きの目的の一つにキンランを確認することだった。
幸い、7株の個体が確認できた。いつまでも咲き続けてほしい花である。
キンラン
和名は花の色による。 山野の広葉樹林内に生える高さ40〜80cmの多年草。 茎は稜条がある。 葉は5〜10個互生し長さ8〜15cm、幅2.0〜4.5cmの広披針形で数脈があり、基部は茎を抱く。 花は黄色で半開し、3〜12個つける。 唇弁に黄褐色の隆起線がある。 苞はごく小さく長さ約2mm。 萼片は長さ1.4〜1.7cmの卵状長楕円形。 側花弁はやや小さい。 唇弁は3裂し側裂片は三角形で内側に巻きずい柱を抱く。 距は短い。
元々、日本ではありふれた和ランの一種であったが、1990年代ころから急激に数を減らし、1997年に絶滅危惧II類 (VU)(環境省レッドリスト)として掲載された。また、各地の都府県のレッドデータブックでも指定されている[9]。
長谷園窯出し市 2022/05/02
4年前までこの窯出し市で10年以上、苔玉とミニ盆栽等の店を出していた。
私にとって年1回の一大イベントでこの日のために苔玉の製作や山野草栽培をしていた。
コロナ禍で昨年、一昨年と窯出し市は中止されていた。
3年ぶりの開催、始まるのは一応9時からだが3年前行ったときは8時に着いたが駐車場はかなり混んでいた。
今年は少し早めの5時40分頃、家を出る。
3年ぶりの西名阪道路、阪神高速の工事の関係で長原の入口に料金所が設けられていて面食らった。
道路はこの時間帯にもかかわらず車は結構走っている。
休憩無しで会場へ7時40分に到着、約2時間の行程。
駐車場の車の中で朝食のおにぎりを食べる。
駐車場はまもなく満杯、どんどん車が入っていく。
会場は陶器・雑貨の出店が39店、フードの出店が19店、フードコーナーが6カ所と会場も広くなり出店数も多くなっていた。
まだ、店は出店準備中なので周辺を散策。
大正館、当主屋敷、登り窯、展望台へと歩く。
一般の人は誰もいなくて独り占め。
会場の人気商品アウトレットの店は開場前に長い行列。
会場に戻り、目を付けていた店を下見。
まだ早いがある店のアウトレットのなかにあった陶器のビアーグラスをゲット。
ビール好きの人にあげようかな。
いつも行く精華大学OBのブースのT氏は来られていなかった、聞いてみたら来年は来られるみたい。残念だった。
ここでお酒の銚子代わりに片口の器を買う。
香山窯で小さな湯飲みを2個購入、これもぐい呑み用に。
毎年買っている丸山繊維産業の蚊帳地の布巾を10枚。
これは奈良市もちいどの通り付近の直営店ならっぷの「蚊帳の夢ふきん」のアウトレット商品。
フードの出店でお土産にチーズケーキを後わらびと地元の茶葉を買って終了。
9時30分にはもう長谷園を後に。
道路に出ると長谷園行きの車で大渋滞。
反対方向の抜け道で大内インターに出て帰宅。
11時30分までに家に着いた。久しぶりの長ドライブ、少しお疲れ。
「ヨシ原の蔓抜き」ボランティア 2022/04/10
高槻市上牧に嫁いでいる娘から篳篥のリードで知られている鵜殿のヨシ原で蔓抜きボランティアの話を聞き、遊びがてら参加した。
9時過ぎに阪急上牧駅に到着、もう蔓抜きボランティアに参加されると思われる人々を見かけた。
娘の家に着き、9時30分すぎに娘一家と孫の友達と一緒に受付にカードに住所、氏名などを登録する。
会場にはもうかなりの人が作業しているのが見える。
会場まで歩き、駆除する蔓のレクチャーを受ける。取りあえずヤブガラシとヤエムグラを駆除してほしいと言われた。
ヨシ原の中はヨシの芽が20cmぐらい出ていて、その間にヤブガラシの新芽がすごい。
これだけヤブガラシが茂っているとは思わなかった。
昨年と1昨年はヨシ焼きができず、今年は篳篥のリードに使えるヨシが採れなかったそうだ。
ヤブガラシの量は半端じゃない、セイタカアワダチソウやノイバラも茂っていた。
たくさんの人で抜いた草の量も凄かった。
帰り道、黄色の花がたくさん咲いていてきれかった。参加者の中に少し手折っている人を見かけた。
帰って調べるとノウルシの花。
ノウルシの茎の途中を折ると断面から白乳液が漏れ出します。
この液に触れるとウルシのように皮膚に炎症を起こすので「野ウルシ」と名付けられた。
白乳液に含まれる有毒物質はユーフォルピンと呼ばれ、トウダイグサ蓮の特有の物質である。
帰りに受付で今日の参加人数を尋ねたら360人。たくさんの人が集まったものだ。
昼1時から近くの本澄寺で篳篥の演奏で有名な雅楽師 東儀秀樹さんのミニコンサート。
後から覗いてみたがすごい人。
当然、本堂には入れきれない人々。
少し盛り上がりすぎたみたい。
山酔会 藤原京跡 大和三山 2022/04/05
前日、急な呼びかけで藤原京跡、大和三山、明日香甘樫丘に桜を求めて歩くことになった。
近鉄鶴橋駅9:13発青山町行きの急行に乗り、八木の改札で集合。
それだけで行程はリーダーのO氏任せ。行く場所の位置関係が整理できていない。
近鉄鶴橋駅9:13発青山町行きの急行を待つが来ない。
下田、五位堂間で沿線火災があり、大幅に遅れが出た。
やっと来た、電車に乗車、かなりの遅れなので社内は混雑。
行く前から少しお疲れ。
八木の改札を出て線路沿いに東に、大和三山の一つ、耳成山へ。
麓の公園のソメイヨシノが満開で向かえてくれた。
日和も良く、桜並木を歩く。
少し、出発時間が遅れたので、耳成山には登らず、藤原京跡へ急ぐ。
藤原京跡の菜の花とソメイヨシノが満開、たくさんの人で賑わっている。
ここから大和三山の畝傍山、耳成山、香久山がよく見える。
奈良文化財研究所藤原京跡資料館でトイレ休憩。
ここから、香久山に登り、頂上で山酔会の昼食会。
タチツボスミレの群生が美しい。
リーダーのO氏はいつもの瓶ビール、T氏は缶ビール+α、私は御所市の地酒篠峰の臼濁り。
食事を済ませ、明日香甘樫丘へ。
麓に天岩戸神社。日の神天照大神が隠れたという巨石が御神体。
本殿が無く、拝所のみという古代の原始的な祭祀形態を残しているかわいい神社で合った。
すぐ傍の「みるく工房飛鳥」の特製ソフトクリームをリーダーからサプライズ。
あとくちが良く非常においしかった。
大宮大寺跡を通り過ぎ、甘樫丘の直ぐ傍のあすか夢の楽市でトイレ休憩。
甘樫丘の展望台に登り、休息タイム。
ここからも大和三山がよく見える。
甘樫丘を下り、近鉄橿原神宮前駅へ。
駅の手前の居酒屋でささやかに打ち上げ。
近鉄橿原神宮前駅から阿部野橋を経由して帰宅。
穏やかな日和の中桜を堪能した道行きであった。
陽光桜 2022/3/28
お向かいのソメイヨシノの花が見ごろ。
今日は少し寒いが桜花に誘われて鶴見緑地に行ってみた。
大阪メトロ鶴見緑地駅から中央口に。
くすのき通北の紅葉スモモは満開の少し手前、他の桜に比べて少し遅れているよう。
大池西側のソメイヨシノはもう見ごろを迎えていた。
早咲きの陽光桜は少し落下もみられるがほぼ満開。
陽光桜の濃い紅色の花が目に染みる。
陽光桜(ヨウコウザクラ)
作者は愛媛県の高岡正明さんで「里桜」の天城吉野(アマギヨシノ)と寒緋桜(カンヒザクラ)との交配によって作出された。
元教師だった高岡さんは、送り出した教え子たちが戦場に散ったことを悼む鎮魂の旅に出た沖縄で寒緋桜(カンヒザクラ)と出会い、この桜が生まれることにつながったという。
染井吉野(ソメイヨシノ)よりも少し早く咲く。一重咲きで、寒緋桜(カンヒザクラ)の紅色が濃い。別名を紅吉野(ベニヨシノ)とも言う。
この頃運動不足なので山のエリヤに足を延ばし、散策。
小さな木にかわいい花殻が付いているのを発見、何の木かわからないがリース材料として使えそう。
ムクゲの花殻に似ているが可憐な感じ。少し採取する。
しばらく行くと大きな木に同じ花殻が。これはサルスベリ。
サルスベリはよく知っているが実殻を見たのは初めて。
思いもよらない収穫物であった。
折々のことば 2022/3/10
2022年3月10日朝日新聞一面 折々のことば 鷲田 清一
花の名前を知ることは、花に気をかけ、愛するということだ。
寺尾 沙穂
名前を憶(おぼ)えれば関係が一段上がる。
地元にどんな花が咲くかを知り、名を憶え、その変化に気づく人がいることは、その土地を狙う妙な計画が立ち上がった時、「土地を守る術」になると、音楽家・文筆家は言う。
随想集『天使日記』から。
2022/
近くにある公園の木の名前を知るだけで、木との距離がすごく近くなる。
四季の変化、自然の営み、自然の摂理、命の大切さ、たくさんのことを教えてもらうきっかけとなる。
花が咲いていなくても、芽吹き、新緑、紅葉、冬芽。野鳥や昆虫を見る機会も増える。
心ときめくことは多い。
木の実のクラフト 2022/2/20
大阪高齢者大学校も成果発表と修了式を残すだけとなった。
大阪高齢者大学校へ行って良かったことの一つに難波宮跡公園でタイワンモクゲンジという木を始めて見て、知ったことである。
タイワンモクゲンジの実は薄い殻に包まれ、熟すと殻が開き2~3mmの小さな黒い種が見える。
この実は薄い殻とともに風に舞って散っていく。
黒い実と薄い殻はなにかクラフトに使えないか。
黒い実は昆虫や動物の目玉に使えそう。
成果発表の難波宮跡公園の樹木の発表でタイワンモクゲンジを解説するためにムクロジとタイワンモクゲンジに実を使ったリースをこしらえた。
ムクロジとタイワンモクゲンジでは実の形も大きさも異なっており、両者がなぜ混同されたのかよくわからない。
トンボ出版 木の実の恐竜たち 中山圭子著では木の実を使ったクラフトがたくさん載っている。
その中から集めてあるアメリカフウの実を使った大毛虫を作ってみた。
実の真ん中に穴を開け、アルミ線を通し胴体にした。
実に穴をあけるのは固く、錐では難しく、ルーターを使った。
顔の目玉は市販の活目、頭はマテバシイの殻斗、触覚はリリアン糸を使用。
少し大味の大毛虫になった。
次に気に入ったトンボに挑戦。
胴体と尻尾はシリブカガシの実のついた穂、この使い方はすごい感覚と驚いた。
シリブカガシはドングリのストラップを作っているので実のついた穂も採取しているが、普通の人はシリブカガシというドングリも知らないと思う。
頭はヒノキ、目はナンキンハゼの実を使った。
羽は本ではレース状になった葉っぱを使われていたが適当な葉っぱはなく、タイワンモクゲンジの実の殻を使ってみた。
この殻は薄く、非常に壊れやすいので胴体に取り付けるのが難しく戸惑った。
また、持った時に落としてしまい壊れてしまった。
2020/1/29 の朝日新聞の夕刊。
いま聞く Interview 石川九楊さん 書家の記事が出ていた。
最後に
「ぼくはSDGs「持続可能な開発目標」という言葉は嫌いです。
貧困や飢饉を終わらせるといった当たり前過ぎることをわざわざ目標として掲げなくてはならないという事態は恐るべきこと。子供たちや孫たちに、いったい、どんなかたちの日本を、世界を手渡すのか。コロナウィルスの感染拡大を機に、もう一度、根本的に、深く考えてみる必要があると思います。」
とあった。
私の中のいままで抱いていたわだかまりが腑に落ちた。
SDGsとは 2022/1/26
今日の大阪高齢者大学校の自然文化を楽しむ科の講義はSDGsとは。
講師は大阪市立大学の杉田菜穂教授、若くて美人。
教授の受講生を独断指名形式の講義の進め方は斬新。びっくり。
また、指名された受講生のコメントもすばらしく、それぞれ多様で非常に興味深い話が多く、感心し驚いた。
他の班の人とは全く話すこともないのですごく新鮮だった。
SDGsに至るまでの経過をまず学んだ、国際連合で定められた開発目標で1960年に遡る。
2000年にMDGsミレニアム開発目標、2015年にSDGs持続可能な開発目標として定められ、今に至る。
国際連合の活動も現在過度期を迎えており、うまく機能していない。
拒否権の発動や各国の利害が絡み、何事も決められない事が多い。
SDGsも
SDGsのサスティナブルの意味。
人間の活動が自然環境に悪影響を与えず、その活動を維持できること。
でも、いままで人間の活動が自然環境に悪影響を与え続けている。
1 世界の人口の急激な増加。
2 大量生産、大量消化の経済活動。
この2つの問題を考え直し、解決しなければ。
SDGsは聖書か、モーゼの10戒か。
なにかの大きな力の手のひらの上で動かされているみたい。
サスティナブルに暮らすこととSDGsとは、少し違和感を覚える。
自分のできる範囲でできることをするだけでは・・・。
正月の朝日新聞の未来デザインの続きを挙げさせてもらう。
未来のデザイン 1月4日 3 仕事
誰が社会を支えているのか
コロナ禍で誰の目にも明らかになった。
社会や消費のあり方を再考すべきではないか。
日常生活を支える働き手の重要性が再認識された。
安いものや便利さを求める消費行動が労働者としての自分にはね返る悪循環が続いている。
外国人労働者の存在「実質的な移民大国」
ロボット AI
労働力は何かに代替えすれば解決するのか。
産業構造が大きく変わるとき、ひずみは弱いところに押し寄せる。
19世紀の産業革命 機械化で仕事を奪われる。
反発 「ラッダイト運動」
AI・ロボット化に対する反発 「ネオ・ラッダイト運動」
仕事の未来
仕事が人に幸福をもたらすこと
仕事は他者から承認されたり社会に貢献したりすることの自負や誇り。
社会が持続可能であるための施策
1. サセライトオフィスを増やす
2. 単一企業に依存しない就業スタイルの普及
3. チャレンジしやすい環境を整える。
財政も格差も経済成長が解決してくれる。=古い価値観
大量生産・大量消費で儲けを出すモデルを変えられず、将来世代にツケをまわしている。
30年後に目指すべきなのは「成長」ではなく「成熟」ではないか。
コロナがこの視点に立つきっかけを与えてくれた。
能力主義に重きを置く社会ではなく。
コロナ禍を支えたエッセンシャルワーカーのような人たちにこそ敬意を払う社会への転換が必要。
日常生活を支える仕事は専門性が低いと見なされる。
将来、AIやロボットなどのテクノロジーに取ってかわられるか?
高度な技術を人間の代替えするために使うのではなく、専門性の低い労働者の生産性を高めたり、補助したりすることに使う未来を目指すべきだ。
消費社会を成り立たせたのは海外に広く展開したサプライチェーン。
行き過ぎた能力主義は「生活が苦しいにはあなたが努力しなかったせいだ」自己責任論につながった。
社会を分断し、共同体への配慮を失わせ不平等を生み出した。
偏った教育からスキルを学べる場にパンデミックは学歴や身分、先進国と途上国という垣根を超え、私達全員が一つの未来をえがかなければならないことを教えてくれる。
未来のデザイン 4 いのち
日本の将来への閉塞感
科学技術だけでは解決できない。
科学の成果を望むかどうか、価値観は多様。
しかし、科学の使いみちは重要。
技術を発展させると誰も取り残さずあらゆる人が支え合う「インクルーシブ」な社会に貢献できるか。
このものさしで技術の育て方を考えることが必要。
より良い未来のために何が求められているのか。
いつまで生きるのか、長く生きるということに肯定的なイメージを持てなくなっている。
VR
コミュニケーションの喜びとは自分だけではなく相手の感情に変化が起きることの実感にあります。
リアルとバーチャル
若い人たちがのびのびと力を発揮できる社会を目指す。
人とのつながりに満ちている日常を作る
未来のデザイン 5 つながり
2016年政府発表した計画
リアルと仮想空間が融合した未来のあるべき姿。
AI+ビッグデータ解析などを活用し、属性や言語にとらわれず快適に暮らせる理想郷
「ソサエティー5.0」→見直し
デジタル化=行政の効率化や企業の個人データの利活用の問題として捉えられがち。
本来は人権やプライバシーとも深く関わる問題。
個人の生活感覚を取り入れながら、法などのルールづくりをすすめる必要がある。
技術は現実の格差を拡大してしまう。
真のデジタル化とは一部の人だけではなく、誰もが関わり、恩恵を受けられる状態を意味する。
技術的なインフラ整備だけでは実現できない。
未来のデザイン 6 グリーン
ハチドリ電力
私は私にできることをしているだけ
個人ができることには限界はある。
それでも、ベターな選択を積み重ねれば、きっと社会は変わるはず。
脱炭素はサプライチェーンのも求められる。
再生可能エネルギーのニーズは増す。
脱炭素の流れは強まっているがそれでもまだまだ足りない。
道のりは険しく、残された時間は少ない。
人類の多くは現在のようには生活を続けられなくなると世界は真剣に思っている。
21年は生き残るにはラジカル(根本的)に舵を切る必要があると全世界的に認められる年になった。
何とか未来を変えようという運動が始まっている。
急がないと間に合わない。
Fin
年頭に思う 2022/1/4
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
正月の朝日新聞の記事1面から
未来デザイン プロローグ
天災、気候変動。
感染症以外にもこれからは様々な危機に直面する。
サバイブ(生き残る)するには強い心で進まなきゃ
どう変わってもいい。
時代と一緒に、みんなと一緒に、歩めたら
より良い未来、その姿をいまこそ探りたい。未来予想図(吉田美和)
目の前に見えとる問題なんてくだらん
もっと遠くを見んと。
未来から考える。 目指したい未来とは。
子どもたちやまだ生まれてきていない将来の世代は当然ながら選挙権も、市場に対する影響力も持てない。
それを良いことに好き勝手に生態系を破壊し、技術開発の負の側面を後世に押し付ける。
今、私達は未来世代の資源などを奪い、植民地化している。
気候変動の領域もしかり。
循環型経済を意識した生活も望まれるが。
SDGsも人間の勝手な発想でしかないのではないか。
動物や自然を守り、他の生命をもらう大切さを知る。
耐えてしまう命を、自分たちの命に変えて生きていく。
この人間と自然のつながりを理解することは不可欠。
「こうあるべし」と決めつけるのは、人間のエゴ
経済が成長し、栄え続ける・・・・・・・・・。
このことはもう無理ということがわかりはじめたのではないか。
コロナが教えてくれたこと。
パンデミックは自然のしっぺ返しか。
メモリアルカード栞 2021/12/22
今日の大阪高齢者大学校の午後の活動は木の葉の栞をバージョンアップしたメモリアルカード栞作りを班の自主活動にしました。
木の葉の栞の作り方は
1 材料となる落ち葉を拾いにいく。紅葉が美しく、形のよいもの。
2 拾い終えたら、その日のうちに雑誌などにはさむ。
3 落ち葉を雑誌にはさんだら、重石をして1週間程放置する。
4 A4のラミネートフィルムに葉っぱを均等に並べ、ラミネート加工をする。
5 葉っぱの輪郭に沿うよう外側を切り抜いて栞の形にする。
6 形にした葉っぱに色紐を閉じる穴をあける。3mm~5mm
7 閉じ紐を2本、色の取り合いを見ながら葉っぱに装着する。
8 閉じ紐の長さを調整し、切りそろえる、接着剤で緩まないよう留める。
9 完成 メッセージカードを作り、クリスタルパックに入れる。
メモリアルカード栞の作り方は
1 メモリアルカードをパソコンの名刺ソフトで文章を作る。
2 印刷し、名刺サイズより少し小さめでカットしておく。
3 葉っぱを入れ込む大きめの穴をカッターナイフで開ける。
4 穴に合った好みの葉っぱを押し花にしておく。
5 カードに葉っぱの名称を書き入れる。
6 名刺判のラミネーター用フィルムにカードと葉っぱを挟み込み、ラミネートの機械でパウチする。
7 出来上がったカードの角に穴開けポンチで3mmの穴を開ける。
8 穴にリリアン糸を通して栞糸を作る。
9 糸を糊で留めてほぐれないようにする。
10 糊が乾いたら完成。
奈良春日山原生林 2021/12/01
今日の大阪高齢者大学校自然文化を楽しむ科の講義は奈良春日山原生林の散策。
奈良春日山原生林
• 標高:498m、面積:約250ha
• 鬱蒼と繁茂した巨木の林相は、常緑広葉樹(カシ、シイ類)を主とした暖帯林を代表とする。
1. 低標高地にはイチイガシの巨樹が多く
2. やや乾燥した斜面や小尾根にはコジイ(ツブラジイ)林
3. やや湿った山腹にはツクバネガシが優占
4. 主山稜にはアカガシの巨樹が見られる。
• 温帯性の樹木(ホオノギ、ウラジロノギ、ブナ)や寒帯性の樹木も混生し、800余種からなる多様な植物社会を形成している。
春日スギは、直径1m以上、樹齢250~400年のものが多く、最大の「公園大スギ」は直径2.8m・幹周り8.8m、樹齢1,000年以上。 優雅で通直の細かい木目、赤褐色で渋味のある色調など材質がきわめて優れ、観賞価値の高い銘木といわれる。
今日も講師は菅井啓之先生。
近鉄奈良駅東口に10時20分集合。
深夜の寒冷前線の雨も上がり、天気は上々。
しかし、冷たい西風が強く、最高気温もほとんど上がらないとの予報。
10時30分東口を出て登大路を東へ、興福寺を過ぎて東側の奈良公園の草地で今日の講義内容のレクチャー。
奈良国立博物館の南側に進む、まずおおきなイチイガシと鹿がお出迎え。
奈良公園で多く見られるイチイガシはカシの王様。
一位の名前が付けられた堂々とした風格の立ち姿。
鹿が寝転んでいる横で奈良公園、春日山原生林と鹿の関係についての話を聞く。
ナンキンハゼの話から珍しいサイカチの木、クロマツに見られるムササビの話へと続く。
ナンキンハゼ(南京櫨)トウダイグサ科シラキ属 落葉広葉樹
秋になると赤~黄色に紅葉しとても美しい。中国から園芸種として入り、その実からハゼノキのようにロウ質がとれることからこの名前がつきました。奈良公園では、昭和のはじめに街路樹として植えられたが、その種を鳥が食べることで広範囲に繁殖し、若草山などでも繁茂した。光を好むため、原生林内の巨樹が倒れた後にできた箇所で確認され、増えている。
新公会堂の西の園地で若草山と春日原生林を見ながら植生の最初とクライマックスの対比の話に熱がこもる。
なかなか、春日山原生林の入口までたどり着けそうにない。
春日大社の北側の道を東に歩く。
イロハモミジの色鮮やかな紅葉が目にしみる。
やっと、春日山原生林の入口に入る。
ここにナギの木があり、レクチャー。
ナギ(竹柏)マキ科 常緑針葉樹
日本では和歌山と山口、四国・九州以南に分布している。奈良公園のナギは、平安時代に春日大社に献木されたと記録されており、春日大社では神木として扱われる。本来の自生地ではなく、シカが食べないことなどから、春日大社境内では純林を形成しており、大正12年(1923年)に国の天然記念物に指定されている。
春日大社のご神体である御蓋山でも多く分布しており、隣接する春日山にも風などの影響で種が飛び拡大したと思われる。
成長のスピードは遅い木ですが、暗い場所でも成長することができや、シカからの被害を受けにくいこと、また、周りに別の植物が育ちにくくする効果(アレロパシー)をもっているため、原始林内でも局地的に純林状態になるなど、拡大傾向にある。
遊歩道の入口から少し原始林の中に、大きなモミの木や杉が立ち並ぶ。
この付近はたくさんのイロハモミジが見られ美しい。
少し進んで春日山原生林の話を聞くが12時を大きく過ぎたので今日の講義は終了となった。
来た道を引き返し、バス停大仏殿付近、夢風ひろばの柿の葉寿司ゐざさで昼食。
昼食後、久しぶりに手向山八幡宮、法華堂を経て二月堂へ。
奈良の市街地を見下ろし、中で少し休息。
大仏殿横から南大門を通って近鉄奈良駅で解散。
もう16時になっていた。今日も良く歩いた。
万博記念公園 日本庭園 2021/11/24
大阪高齢者大学校の講義は万博記念公園で日本庭園に学ぶ。
いつもは大阪メトロ今里駅から大日駅に出て大阪モノレールで万博記念公園駅へ出るが。
今日は大阪メトロ今里駅から日本橋駅、阪急山田駅を経由して万博記念公園駅へ。
万博記念公園は何回か来ているが日本庭園へ行くのは始めて。
日本庭園の自然環境を学ぶがテーマで講師は菅井啓之先生。
万博記念公園の中の日本庭園なので余り期待を持っていなかったが。
まず、園内に植えられた銘木に感動。
レイアウト、見せ方にすごみを感じた。
庭園の設計・施工の責任者、田路六郎は始めて知った。
大阪の身近なたくさんの公園に関わられたことに驚いた。
靭公園、大阪城公園、城北公園の新設、中之島公園の復旧、さらに長居公園の用地確保、設計及び一部実施を実現、市長公邸日本庭園の設計施工も在職中に構想し、大阪市の緑づくりに大きな役割を果された。
始めに正門の中央休憩所から近世地区心字池(しんじいけ)。
江戸時代は、庭の担い手となる大名によって、多くの庭園が作庭され、見るためだけでなく遊興等にも利用された。
「心字池」は、草書体の「心」という文字の形をした雄大な池で、中央休憩所からは、芝山(築山)を背景に、心字池、石組み、多くの名木、雪見灯篭など、日本庭園の成熟期にあたる華麗な「池泉回遊式庭園」の景観を鑑賞する。
次に西側の竹林の小路を
日本庭園を造成する前の千里丘陵には大規模な竹林が広がっていた。
「竹林の小径」は、郷土の風景を再現するためにつくられた場所で、手入れされた竹林の静けさの中で、「ししおどし」や「せせらぎ」の音が心地よい。
深山の泉へ
平安時代は貴族の“寝殿造り”と呼ばれる邸宅に付随して「寝殿造り庭園」が作庭された。
「深山の泉」は、迎賓館を寝殿造りの建物と見立て、まわりのモミやイヌマキなどは、太古の大自然を表し、泉から湧きだした水は“時の流れ”を象徴し、4つの時代の庭園様式を取り入れた万博日本庭園の源泉を表現している。
平安時代は中国大陸の影響を大きく受けて、海をイメージした庭が発達した。
「深山の泉」に立つ石は、島々を表し、手前の石敷きは海岸の多様さを表した洲浜をイメージしている。
木漏れ日の滝へ
「木漏れ日の滝」は、高さ3.5mの二段落ちの滝を中心に、その左に一つ、右に二つの形の違った小滝で構成されている。
主瀑に使われている石は、庭園で最も大きく、その重量は1個で17tもある巨石が用いられる。
滝口からの渓流は、流音、姿とも力強さがあり、両岸にはモミジが多植され、真っ赤に染まった葉は紅葉渓の景色を呈している。
茶室千里庵の枯山水に
室町時代には、方丈前の小さな空間に、水を使わずに石や砂、草木などで自然風景の山と水を象徴化する「枯山水」の庭が発達し、禅僧はこの庭の前で悟りを開こうとして日々座禅に取り組んでいたという。
一見簡素で変化に乏しい庭に見えるが、太陽の移ろいによる砂紋の陰影、植物の多様な緑、生垣越しに広がる空の青も含めて違った色彩を見せてくれる。
心字池の奥の芝山の裾を通り、現代地区の旋律の鯉池に
「旋律の鯉池」は、現代庭園をイメージして作庭され、自然石を使わず、直線に切り取られた切石が、オブジェのように並んでいるモダンな庭で、切石を山々がつながる様子と見立て、そこから湧き出た水が川を経て海に流れる自然の風景を描いている。
でも、直線の切石の背景の木はできたらシンメトリーな仕立ての針葉樹に、手前の乱張りの石も方形張りにしてほしかった。
マルバノキ 2021/10/27
今日は大阪高齢者大学校の自然文化を楽しく学ぶ科の講義で私市の大阪市立大学付属植物園へ。
私市の駅では大きなクスノキが出迎えてくれ今日の講義の期待が高まる。
コロナ禍の影響で午前中は近くの研修会場「星の里いわふね」で大阪市立大学大学院理学研究科の厚井聡先生の絶滅危惧種の話。
絶滅危惧種の保護、保全する意義や意味についてはかなり難解であり、難しい。
講義が終わって昼食後、午後は植物園に。
私は葉っぱで栞を作っている。ハートの形をした葉っぱは可愛く微笑ましい。
ハートの形をした葉っぱというとカツラやトサミズキなどがあるが、マルバノキの葉っぱもハートの形をしている。
ネットでマルバノキを検索すると大阪市立植物園にあるという。
大阪市立植物園のある私市は枚方から乗り換えしなければならないので遠くに感じ、なかなか行く機会がなく学生の頃に行ったきり。
今日の最大のお目当てはマルバノキと対面すること。
できたら、紅葉した葉っぱをゲットして栞にしてみたい。
園内の見学は本来なら班ごとに行動すべきだが。
とりあえず、花木園にあるマルバノキを求めて一人で行動させてもらう。
花木園は樹にすべて樹名札が付いていて様々な花木が植えられている。
いきあたりばったりでなかなか見つからなかったが、行きつ戻りつしてやっと見つけた。
ちょうど花も咲いている。
花は濃い赤黒の花で珍しい形をしているが何せ小さく目立たない。
花も残り花のようできれいな写真は撮れなかった。
葉っぱはハート型で美しいが思ったより大きな葉で、紅葉している葉も少なく、きれいな葉は無かったが、2枚採取した。
マルバノキとの対面を果たしたので班の皆さんに合流し、少し樹の解説をしながら園内を見学。
コウヤボウキの花にたくさんの蝶々が蜜を吸いに集まっていた。
最後に今日講義を受けた西日本絶滅危惧種の展示場所へ。
絶滅危惧植物の保護、増殖された種が展示されているが、シランやキキョウを保護、保全する意味はどのくらいあるのか。
展示されているキイジョウロウホトトギスは我が家でも作っている。
花をきれいに咲かせるのは非常に難しいが、葉が焼けても翌年の新苗はよくできる。
民間の研究室や各地の山野草会との連携も考えて良いと思うがこの頃は各地の山野草会も高齢化が進み衰退して元気がないように思える。
植物園内の西日本絶滅危惧植物の展示園でメンバーの一人が展示園というより絶滅危惧種の墓地に見えると言っていた。
見せ方にも工夫がほしいと思った。
熊野街道 紀伊路 1 2021/10/17
紀伊路は7世紀以降、熊野三山の公式ルートとして多くの参詣者が利用したが、摂津国・和泉国では和泉山脈を越え、紀伊国では紀伊山地と紀伊山地に源流をもつ河川を越えなければならない困難な道です。
険しい道であったにもかかわらず多くの参詣者が利用したのは、”九十九王子”への巡拝が行われる「信仰の道」であり、困難な道程を越えて行くこと自体に信仰上の意義が見いだされたためだったそうです。
また摂津や和泉では「熊野街道」とも呼ばれたように、紀伊路は幹線道路として紀伊路沿いの住人たちの”生活道路”でもあった。
大阪・和歌山を繋ぐ重要な道であったために、現代では発展とともに古道本来の姿は失われ、ほとんどが道路や集落内の舗装路となってしまっている。
”山中渓駅”を起点として紀州街道「山中宿」からスタート!大阪府最南端の”雄ノ山峠”を越えて「泉州」から「紀州」に入る。
峠を降りて、九十九王子を辿りながら山口神社・力侍神社へと進み、川辺橋で「紀ノ川」を渡って”布施屋駅”を目指す。
山中渓駅は小さな無人駅、今日のコースはトイレが少ないのでここですます。
山中宿には寄らず、傍の道祖神にハイクの安全と無事を祈り出発。
県道64号線を和歌山県目指して南に進む。
カーブが多く、車もスピードをだして走行しているので縦一列で歩くが少し怖い。
山中渓駅からしばらく進んだ道路沿いに、山中関所跡がある。
阪和自動車道の高架を抜け、和歌山県との境にある”境橋”に。
ここに「日本最後の仇討ち場」の石碑がある。
和歌山県に入ってからも県道を進むが、途中、一旦踏切を渡り”滝畑”の集落内へ入る。
踏切を渡ったところに「中山王子跡」がある。
中山王子は紀伊国で最初の王子社。
ヤタガラスが刻まれた中山王子の石碑。
裏の立派な民家にウバメガシの門冠ぎ、ウバメガシは珍しいと思い写真を。
雨上がりの滝畑の集落内でのカラスウリの実が美しい。
集落を抜けて再び踏切を渡り、再び県道に。ここで小休止。
再び県道を進む!このあたりから緩やかな登り坂、しばらく進んで登りきったところから、緩やかに下り始める。
傍らに鮮やかな花のキクアザミ?にスズメガの一種ヒメクロホウジャクが。
阪和自動車道の鉄橋が見えてくると、このあたりが”雄ノ山峠。
雄ノ山峠には”不動明王”さまの祠。
雄ノ山峠からは急な下りとなる。
京奈和自動車と阪和自動車道が合流する「和歌山JCT」が見えてくる。
和歌山JCT。思わず写真を取りたくなる。
側溝にクレソンを発見、ゴミ袋に何杯も採れそう。
和歌山JCTの下を潜って暫く進むと、県道の左に脇道があり下ると山口王子跡が。
この王子社は明治時代の神社合祀によって、”山口神社”に合祀されたそうだ。
ヤマブドウの青い実が美しい。
少し、道に迷いながら、山口神社に到着
山口神社で昼食の予定だったがパスして次の川辺王子を経由して力侍神社を目指す。
まずは山口神社の鳥居からそのまま真っすぐ下って、コンビニを目印に右へ曲がる。
ここから県道7号線沿いを20分ほど進む。
ここも歩道がなく少し怖い。
県道を進む、中村モータースさんの向かいに地蔵尊(お大師さん)がある。
ここを左折。和歌山市街に入ると、足元に”導き石”が埋め込まれている。
紀伊路は集落内を進む場面が多く、道がわかりにくい。
少し迷うが戻って、導き石をたどっていくと、川辺王子に到着。
直ぐ側に大きな木。エノキか。
ここから力侍神社(りきしじんじゃ)を目指すがまた迷う。
地元の人に聞いてもあまり埒が明かない。
トイレとベンチのある公園がありここで昼食となった。
後で確認したらデイサービスセンター山口葵園の西隣、公園の名前はわからなかった。
地図上では力侍神社まで100M位の場所だった。
ここからなんとか力侍神社へ。
摂社である八王子神社と並立し、先程の川辺王子・中村王子もこちらに合祀。
立派な神社で榊の木が丸く刈り込まれていた。
力侍神社の入口の鳥居を西に行くと”中村王子跡”の看板がある。中村王子跡には看板だけ。
力侍神社に戻りから道なりに進むと、国道24号線に突き当たる。
ここはそのまま横断して進むが、車通りが多いので、すぐ横の横断歩道を渡るよう案内がある。
しかし、みんなで渡れば怖くない。
再び集落内へ立派な屋敷と土壁が美しい。
集落を抜けると、いよいよ大詰めの紀ノ川の河川敷が見える。
土手に上がり川辺橋に進むが土手の道路は側道もなく、車が多い。
迂回する別ルートがあったがそのまま道路の横を歩き、川辺橋に到着!
いよいよ紀ノ川を渡る。延長755M、長い長い橋、紀ノ川は広い。
川辺橋を左にマンションの脇にある右の道を進めば200mほどでゴールの布施屋駅。
もう帰るのには良い時間。しかし、・・・。
ここから大きく遠回りして、そのまま真っすぐ行き、吐前踏切を渡って、吐前王子跡を経由して布施屋駅へ向かうのか。
でもしばらくまっすぐ歩いたが途中で戻り、布施屋駅近くに、ここから帰るかと思いきや集落の中を通って吐前王子跡へ。
約1キロメートルを歩くと田んぼの中に吐前王子跡があった。
吐前では紀ノ川の水で心身を清める”水垢離”行ってから王子社に参拝するのが通例だったとされた。
江戸時代にはこの王子社は王子権現と呼ばれて、付近は森に覆われていたと言うが今は何もない。
地元の人はこの土地を「オコードー」と呼ぶそうで、「御幸道」あるいは「御幸堂」を指す。
来た道を戻り布施屋駅からJR和歌山線で和歌山駅に出、JR阪和線の紀州路快速に乗り換え天王寺に。かなり遅くなってしまった。
熊野古道、紀州路の名前からもう少しのんびりした、歩きやすい、ひなびた道をイメージしていたが土の道はなく、すべての道は舗装道、車の通行の多い道も多くあった。
山口神社や力侍神社は歴史も趣もあり良かったが王子は碑や看板だけの所もあり、インパクトに欠けた。大阪から少し遠く、歩行距離も長かったのに満足度は今ひとつだった。
山酔会 河内飯盛山 2021/09/28
山酔会の催し、コロナ禍であるがアケボノシュスランを見に行くと言う。
アケボノシュスラン? 30代ぐらいの時、ミヤマウズラやベニシュスランに手を出したが増やすことができず、3年ぐらいで枯らすのでそれからはこのたぐいの物には手を出さない。
アケボノシュスラン、野生欄の写真集や山野草系の園芸雑誌で見たことがあるかないか。
小さな姿の小さな花なのであまりインパクトはない。
アケボノシュスラン ラン科 シュスラン属
山地の主に落葉樹林内に生える多年草。茎の基部は地を這い、上部は斜上し高さ5〜10cmになる。葉は数個互生し、長さ約2~4cm、縁は波うち、葉脈が目立つ。茎頂に数個の淡紅色の花をやや偏ってつける。顎片は狭卵形で長さ約10mmで、側花弁、心弁もほぼ同長。長さ約1cmの花を横向きに開く。 背萼片と2個の側花弁は互いにくっついて花の上側を覆う。 花期は9~10月。北海道~九州に分布。
はじめは高安山に行く予定だったが小さな群落しかなく花の時期もまだと言うことで河内飯盛山に変更になった。
リーダーは2回も下見に行かれたのだ。
9:30、JR野崎駅、駅前に集合。参加者は5名。
野崎観音慈限禅寺を経由して飯盛山に。
娘が四條畷に住んでいるので2~3年前に孫と娘と一緒に飯盛山には登ったことがある。
その時は頂上からUターンして帰ったので野崎からの道は始めて。
歌で有名な野崎観音だが初めての参拝。
まず参拝道をだらだらの上り坂から急にそびえ立つ石の階段。
すごい威圧かんがある。
階段を登りきり本堂にお参り。
軒に小さな動物の人形がつってある。
これは安産祈願の張り子の戌だった。
本堂から展望台に続く道を登り、飯盛山を目指す。
行きは南尾根コースで桜池へ。
道は花崗岩の上を行く険しいところもある。
樹冠の道にはたくさんのいろいろなキノコがでていたがキノコの専門家はいないのですべてパス。
尾根筋に鮮やかなブルーの花が咲いていた。家に帰ってから調べたがナンテンハギみたい。
ノロノロと平均年齢70以上のグループは進む。
11時過ぎアケボノシュスランの自生地付近の桜池に到着。
桜池から飯盛山の山頂に向かうハイキング道のすぐ横の湿地にアケボノシュスランの自生地があった。
もう少し道から外れ険しい谷に下りた場所と想像していたので呆気にとられた。
ハイキング道から群落が見えている。
ただ、興味の無い人や知らない人は花も小さく目立たないため気がつかず通り過ぎるだろう。
でも、ネット上に場所のわかる記載もあったのでハイキング道から群落まで靴の踏み跡がたくさん付いていた。
大きな群落で5㎡ぐらい?のものが何カ所かあるみたい。
落葉樹林の下に、アケボノシュスランが一面に広がる。
花は残念ながら少し遅かったみたい。萎れている花が多かった。
花の写真を撮る。なかなか良いアングルは?
絶妙なグラデーション、薄い肌色に、かすかに紅色が混ざったような色。
この色を夜明けの空の色にたとえ、アケボノの名がついたようだがここのはほとんど白色。
シュスは、葉の表面の艶が繻子織の布(サテン)に似ていることからの由来。
なんとも名前は優美ですね。
十分開花した花は、親鳥にエサをねだる幼鳥のクチバシにも見えます。
今日のメインのアケボノシュスランの観賞も5~6分で終わり。
お腹をすかしているので昼食予定地の山上の展望台を目指す。
途中でヒヨドリバナの花の蜜を吸っていたアサギマダラ(蝶)の優雅な姿が見られた。
山頂の展望台には12時過ぎに到着。
大阪の町の展望もそこそこに昼食タイム。
いつも通り、リーダーは瓶ビール、私は頑張って風の森の大吟醸の小瓶を保冷バックに入れて持参。今日もう一つのサプライズは炒ったどんぐり(マテバシイ)。
食べ終わるとすぐにお開き、帰りは七曲がりコースで野崎観音の戻り、駅を目指す。
今日は曇り空だったがそれでも暑い。
久しぶりの山行きは少し足に来るが心地よい。
熊野街道を歩く会 紀伊路(小栗街道) 2021/09/19
大阪天満橋 八軒屋船着き場 9:00集合
東大阪歴史の会の清水先生よりたくさんの資料を頂く。
1、 熊野古道を歩く会紀伊路(小栗街道)シリーズ A5 14P
2、 八軒屋船着場から住吉大社までの地図 A4 3枚
3、 坐摩神社御由緒略記 時の鐘 四天王寺境内地図 四天王寺のお話 竹本義太夫の墓 各 A4 1枚
4, 熊野古道名所展望 紀州街道編その1 A4 10P
近松門左衛門墓 高津宮 生國魂神社 庚申堂 松虫塚 阿倍王子 神社
5, 八軒屋の今昔 熊野街道のはじまり B6 26P 小誌 永田屋昆布 本店(非売品)
今日の行程は八軒屋・・・窪津王子・・・坂口王子・・・郡戸王子・・・生國魂神社・・・四天王寺・・・松虫塚・・・阿倍王子神社・・・万代池公園・・・東住吉駅 歩行距離約11Km、時間4.5時間
これは盛りだくさん、コロナ禍の自粛中、久しぶりの街歩き、体と頭がついて行けるか。
まずは窪津王子由縁の坐摩神社へ、しかしコロナ禍の休日なのか入口の扉が閉まっており、外からお参り。
大阪市内の熊野街道の由縁の王子の場所や史跡は豊臣秀吉や江戸幕府が配置換えを何度もなされており、正確な場所はわからないことの方が多い。
跡の碑や案内板だけだと印象も薄く、市民の生活の場に埋没しており、目立たなくわかりにくい。
今回の印象の残った所は八軒屋の船着き場の跡の石畳みの階段、四天王寺南の清水地蔵尊、榎大明神、松虫塚等で興味深く回らせてもらった。
まずは窪津王子由縁の坐摩神社へ、しかし、コロナ禍の緊急事態宣言中と言うことで入口の扉が閉まっており、外からお参り。
少し戻ると永田屋昆布本店の看板。立派な八軒屋の今昔という小誌で始めて永田屋昆布本店をしった。
ほとんどの人は知らない八軒屋の船着き場跡の石畳みの階段は石の配置、すり減り方など歴史を感じさせてくれた。
窪津と高津の説明はわかりやすく、王子や宮が少し身近に感じられた。
大阪市内で清水の湧くところがあるとは知らなかった。
庶民の生活の中心となり、神聖な場所として地蔵尊が祀られたのだろう。
エノキの木は木偏に夏。
エノキのえは良い・大切な・便利なという意味がある。
エノキが元気に生えていることは人々にとって好ましい環境をもたらす。
枝下の空間が広く、夏の木陰に涼しい風が吹く。
枝振りが緻密なため木漏れ日が細かい。
旧街道の一里塚や道祖神の脇に植えられ、目印となると共に旅人にひと休みする木陰や陽だまりを作る。
榎大明神は楠木正成のお手植えとも言われ樹齢650年のエノキの古木と小さな社が祀られていたと伝わる。
今植わっている大木は中国原産の槐(えんじゅ)であるが。
元々はエノキが植わっていたと思いたい。
松虫塚にも大きなエノキが植わっていた。
残念ながら枯れて切り株が見られた。
切り株からはたくさんのキノコが出ていた。
このキノコは天然のエノキダケ?
エノキは生命力が強く、町のあちこちでエノキの実生(赤ちゃん)がみられる。
松虫塚には次代のエノキを植えてほしい。
道すがら道路の中央部や道路沿いに走る阪堺電車のチンチン電車。
すぐの身近な所で見るチンチン電車はカラフルな色使いで可愛い。
いろいろと見応えのある街歩きだったが少し疲れた。
大阪高齢者大学校 京都御所の樹木観察 2021/7/14
10時過ぎ京都今出川駅に到着。今出川駅の入り口を占拠してしまった。
御所に移動、乾御門の入口で説明を受けて樹木観察が始まってすぐに大きな雨粒がポツポツ。
すぐに空が暗くなり、雷と共に豪雨となった。
慌てて、すぐ傍に大きめのトイレの中と庇に避難。
雷雨はなかなか収まらず、約1時間のトイレでの講義となってしまった。
御所の樹木は環境省が管理しているのであまり手をかけずのびのびと生育している。
ケヤキ、モミ、アカマツ、クロマツ、イチョウ、ムクノキ、エノキ、ツガ等あまり他では見られない、大木が多く見られ、説明を受けた。
御所の樹林は湿度が高いのか樹幹に苔が多く見られる。
同じニレ科のムクノキとエノキが隣接して植わっていて、樹皮のはがれ方の違いからかムクノキには苔が乗っていなく、エノキにはきれいに苔が乗っている。
同じニレ科の木なのにどうして異なるのか不思議である。
イチョウの樹冠の広さには本当に圧倒された。
1時間ぐらいしか観察時間が取れなく、コロナ禍の中ということで午後の自主活動も中止となり、残念だった。
もう一度来てゆっくり観察してみたいと思った。
山酔会 交野山 2021/06/10
今日も良い天気、真夏日の予報。
9:00前に最寄り駅、集合。
JR学研都市線に乗り継いで津田駅へ。
津田駅から南へバス道路沿いに倉治バス停まで、バス停を東に曲がる、右手に機物神社。
神社に沿って歩くが広い敷地の神社である。由緒はなんだろうと思いながら進む。
第2京阪自動車道のガードを越え、奥津宮神社を経て源氏の滝へ。
マイナスイオン充分で清涼、爽やかな道が続く、木漏れ日が美しい。
滝の横の急な階段は宣春院、不動明王が祀ってあり、護摩場が設置されている。
ここを過ぎ広場に出る。
ここから右へ急な岩場の多いせせらぎの道へ。
しばらく進んで行くとせせらぎの道が土砂崩れで通行止めに。
迂回路として険しい谷づたいの小道でみはらしの道へ。
途中ヤマアジサイの群生が美しい。
みはらしの道を交野山の方に、せせらぎの道からのルートに交わり、交野山へ。
頂上手前の急な階段の両側に今日のお目当てのササユリが。
多くの花は盛りが過ぎていたがまだ蕾もちらほら。
ササユリの甘い香りに鼻をくすぐりながら山頂へ。
山頂からのご来光は交野八景「交野山の来光」で選ばれている。
山頂の観音岩に圧倒されながら岩の上に立つ。
少し霞んでいるがアベノハルカスも確認できた。
空は真っ青、岩の上の人のシルエットと好対照。昼の時間だが山頂は日陰もなく陽射しが暑い。
少し、下山して交野いきものふれあいの里を経て、白旗池の堰堤に。
堰堤の斜面にもササユリが見られたが花は終わっていた。
代わりにオカトラノオの白い可憐な花が迎えてくれた。
いきものふれあいセンターの傍のテーブル・ベンチで昼食。
山酔会の名前にふさわしく、Oリーダーはいつもの瓶ビール。私はアルミ缶。T嬢は今日はおとなしく控えめに果実酒。
お腹が落ち着くと下山へ。
交野カンツリークラブの隧道をくぐってしばらく行くと鮮やかな紫紺の小さな花のコバノタツナミソウが眼を楽しませてくれる。
檜林の中を通り、約90分、14:30頃JR津田駅に到着、帰宅へ。
天気に恵まれ、気持ちのいい、山行きとなった。
ドングリストラップはラッキーアイテム 2021/5/23
ドングリストラップをもう10年ぐらい前から作っていたがラッキーアイテムとは知らなかった。
ドングリストラップは単にドングリが丸くて可愛いから。
特にマテバシイとシリブカガシのドングリは皮が硬く虫も入りにくい。
丈夫で普通使いだと何年も壊れることもない。布で磨くと艶がでるので美しい。
他のドングリ、アラカシやコナラなどで作ると乾燥してぼろぼろになりやすいので、私の作るドングリストラップはこの2種類。。
そんな感じで作っていて、ボランティア仲間や知人、公園でドングリが好きそうな子供にあげていて、可愛いとかすごいとか、結構評判は良い。
朝日新聞 2021/5/17 (しつもん!ドラえもん:4024)ラッキーアイテム編
質問 イギリスで大事(だいじ)にされている木(き)の実(み)は何(なに)かな。みんなも拾(ひろ)ったことがあるかもしれないよ。
答 ドングリ
「オークの大樹(たいじゅ)も小(ちい)さなドングリから」っていうことわざがあるんだ。小(ちい)さな実(み)が大(おお)きく育(そだ)つから、希望(きぼう)や可能性(かのうせい)を象徴(しょうちょう)すると考(かんが)えられているよ。
こんな記事が目に留ったのでラッキーアイテムのドングリについて調べてみた。
団栗(どんぐり):不老不死の願い
カシの木は、長寿、不死の象徴とされ、その実であるドングリには若さを保つ力があると考えられています。丸い形、発芽する姿から生命をも意味し、永遠の若さを象徴しています。
以上の引用は: 「世界のラッキーアイテム77」 (大和田聡子著ダイヤモンド社2006年刊)
オークの実(ドングリ)
男性の性的シンボルでもあり、魔よけの護符とされた。」
オークは木々の中でもシンボルとしてとりわけ重要で、材質が固いため、 不死や永続性の象徴とされる。
オークには雷が落ちることが多いと信じられ、稲妻の神ゼウス、雷神トールにささげられた。
オークの葉にはライオンを呪縛する力があると信じられ、堆肥にオークの杭を打ち込むと蛇を寄せ付けないとされた。
ドイツではロマン派の詩人にゆるぎない力の象徴とうたわれ、それゆえに、ナチスの時代にも騎士十字勲章の図柄に「オークの葉」があしらわれた。
北欧などでは、どんぐり(樫の木)は生命、多産、永遠の命の象徴とされている。
どんぐりの実を一粒持っていると、病魔から身を守り 若さを保ち 長生きすることができるという言い伝えもあるらしい。
イギリスのことわざにGreat oaks from little acorns grow. (カシの大樹も、小さなどんぐりから)というが あります。
小さな実から大木になるとのことで「大きく育つ可能性=成功」を意味しています。
それが世界中に広がり、希望や可能性の象徴としてもよく使われるようになりました。
北欧では雷から家を守るために、窓際にどんぐりを飾る風習もあります。
知らなかった、これからドングリストラップをあげる時の蘊蓄が増えた。
大阪高齢者大学校 自然文化を楽しく学ぶ科 2021/04/14
大阪高齢者大学校入学式は4月4日(日)で他の予定とかさなってしまったので欠席。
初日の授業は10:30から、9:20分過ぎに自宅を出て大阪メトロ緑橋駅に、今日の昼飯を駅付近のサンカフェでサンドイッチを購入。
初日は要領がよくわからないので簡単に食べられるものにした。
緑橋駅から谷町4丁目駅へそこから徒歩で教室である大阪市教育会館へ。
10時過ぎについたがもう半分ぐらいの人が来ていた。
まずはクラスディレクターの中原氏から新型コロナウイルス感染予防対策やオリエンテーションの予定等の連絡事項があって、10:30から菅井啓之先生の講義を受ける。
菅井先生は自然文化を楽しく学ぶ科の授業の講義を11回される。
11回の講義の全体像と自然文化を味わうための自然の見方について話された。
先生は知識を覚えるより自然からの気づきが大切。ひとつの木や花もいろいろな角度からいろいろな時間で観察することが大切だと。
花が咲いているときだけが木の見頃ではない。他の時期も観察することが大事だと。
今日の道すがらで、見てこられた、イチョウの若芽の形は?ヤマモミジの花や実の形は知っていますかと。
帰り道にイチョウの若芽とモミジの実を見つけて観察、なるほど今までに無い気づきであった。
今日は初日なのに、大阪のコロナ禍の影響で蔓延防止条例が発動されているので急遽、講義は午前中だけとなり、クラス運営の説明や班編制、自己紹介等がなくなってしまった。
大阪高齢者大学校受講のひとつの目的は仲間作り、私の性格ではなかなか気の合う人にめぐり逢えないので班編制は気になる。
人付き合いが負担になると楽しくなれない。なかなか難しい。
山酔会 JR福知山線 生瀬~武田尾 廃線敷きコース 2021/04/06
東大阪歴史散歩の会の有志で作る番外編の山歩き会があり誘われた。
4月4日の東大阪歴史散歩の会の普賢寺谷と飯岡山遺跡に行って2日後の4月6日の強行日程で4月6日は病院に行く予定だったが急遽4月5日に病院に行くことにして参加することにした。
知らされたのは集合場所と時間、行き先は生瀬と言われたがよくわからないまま参加した。
最寄駅大阪メトロ今里駅8:30集合、梅田駅に出て阪急に乗り換え宝塚へ、宝塚からJR福知山線の乗り換え次の駅生瀬へ。10:00頃到着。
このルートの料金が一番安いらしい。
生瀬駅から廃線敷き入口までR176線の細い歩道を歩く、歩道の横にノビルがたくさん生えていておいしそうだなと横目で見ながら歩くこと15分。
廃線敷内にはお手洗いや売店、自動販売機がなく入口付近に仮設トイレが設けられている。
廃線敷は歩き始めてすぐ、スケールの大きな岩山と武庫川渓谷の自然豊かな風景に圧倒される。
橋梁を渡りながら右手に川を眺めて歩くと、巨石がごろごろと転がっている。
まず、北山第1トンネル319M。
トンネルの中は真っ暗、ここは枕木がなくすべてバラス敷きの道。
あまりでこぼこが無いようなので明かりを灯さず進む。
真っ暗な中、神経を研ぎ澄まして歩く、非日常的でとても面白い。
トンネルを抜けると右手に岩山が見える。
次に北山第2トンネル413M。
ここは枕木が敷いてあり、枕木とバラス敷きに少し段差があり、枕木を踏み石のようにして歩かなければならないので灯りを付けた。
枕木は等間隔に敷いてないので歩幅を合わせなければならない。
抜けると武庫川の流れがかなり急なところがあり、迫力満点。
ふと足下にマムシ草が挨拶してくれた。
コースの横に枕木がたくさん積んであり、廃線敷きの雰囲気を高めてくれる。
次は溝滝尾トンネル149M.
通り抜けると迫力のある第2武庫川橋梁が出迎えてくれる。
続いて長尾山第1トンネル306M。
これを抜けると昼食の予定の親水広場に出る。
親水広場には多くの人が休息していたが広く、組み合わせたベンチのところが空いていたのでそこで昼食にした。
この会は昼酒もありでそれぞれ思い思いに持参。
私は菊水のアルミ缶を忍ばせた。
昼食後まだ残っているヤマザクラを遠眼に見ながら長尾山第2トンネル147M、長尾山第3トンネル91Mを抜け廃線敷き出口に。
トイレ休憩を挟んでJR武田尾駅へ。
14:00過ぎの電車で帰宅。
思いがけない面白いコース、今度は孫を連れてこようかなと思った。
東大阪歴史散歩の会 普賢寺谷と飯岡山遺跡 2021/04/04
1週間前から4月4日(日)は雨の予報。
前日の3日の予報は朝から雨。
あまり気が進まないが新しい5月からの東大阪歴史散歩の会の予定をもらわなければならないし、T女子の宿題もあるので雨の覚悟で用意をする。
朝、5時30分に起床、玄関から外の様子を見る。
まだ、降ってはいない。少しだけ安堵する。
9時過ぎに会の集合場所近鉄京都線興戸駅に到着。
参加費300円を払って今日の資料とこれからの活動予定表をいただく。
9時30分過ぎに興戸駅を出発、JR同志社前駅で待っている人と合流して同志社の敷地にある天神山遺跡を目指して歩く。
日光寺、妙覚寺を経て天神山遺跡へ。
天神山遺跡
同志社大学田辺キャンパス造成時に発見された弥生時代後期の竪穴住居の集落遺跡。
普賢寺谷入口の北側、標高80メートルの丘陵地の南北90m、東西60mの平坦地に、弥生時代後期の集落跡が残されている。水際での生活から、川に沿って山を開き集落を形成していったといわれ、20軒以上の竪穴住居跡が発見されている。また、住居形態の変化と合わせるように利器の素材も石から金属へと変わっていったことから、弥生時代から古墳時代―大和政権の確立―への社会の変化をうかがい知ることもできる。南山城地域における高地性集落の代表例として注目を集め、現在は同志社校地内に史跡公園として整備・保存・展示している。
桜の花びらで彩る花筏を見ながら普賢寺川沿いを観音寺へ。
観音寺の前の菜の花畑が我々を迎えてくれる。
真っ黄色の菜の花はインパクトも強くきれい、でも少し見頃は過ぎている。
お寺の桜も早や葉桜に近い。もうしばらく持ってほしかったと少し残念。
11時30頃、いつ雨が降り出してもおかしくない天気予報なのでここで少し早い昼食となった。
昼休み後拝観料を払って観音寺の国宝十一面観音に礼拝する。
住職の立て板に水のごとくの解説後、国宝の十一面観音を手に取れるほどの所で拝観できるのはすごい。
観音寺
天武天皇の勅願により義淵僧正が創建した。その後、聖武天皇の御願により良弁僧正が伽藍を増築し、息長山普賢教法寺と号し、十一面観音立像を安置したといわれている。 法相・三論・華厳の三宗を兼ね、七堂伽藍は壮麗を極めて「筒城の大寺」と呼ばれた大寺院であったと伝えられている。度重なる火災により、現存しているのは本堂、庫裡、鎮守(ちんじゅ)の地祇(ちぎ)神社だけである。本堂は昭和28(1953)年3月に再建された。単層で入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほんかわらぶき)で南に面している。境内の西方、丘陵上には塔ノ跡と称されるところがあり、奈良時代末期から平安初期頃の作となる布目瓦(ぬのめがわら)が散在している。またその中央には大きな石が置かれているが、おそらく付近一帯に建てられていた堂塔の礎石の一部だと思われる。本堂の前には松香石(しょうこうせき)製の層塔残闕(ざんけつ)があり、様式からすると平安後期の作であるという。
十一面観音立像 天平仏(奈良時代中期)を代表する仏像で、昭和28年国宝指定。天平16(744)年良弁僧正(ろうべんしょうじょう)開基時の仏像。 一木式木心乾漆造(いちぼくしきもくしんかんしつづくり)、漆箔(しっぱく)(下地の上に漆を塗り金箔で表面を加工)仕上げ。昭和期の高度な補修技術により現状の姿に整えられた。本体では、頭上面中の七面、右耳朶(じだ)、両手の指(右第五指を除く)、本体以外では天衣や持物などが後補されたもの。当初の蓮肉と敷茄子をそのまま使用し、そこに蓮弁と反花(かえりばな)、八稜形の框(かまち)を付け足した六重の蓮華座に、静かに安置されている。 像高:172.7センチメートル 重量:66.0キログラム。
ここから酒屋神社へ。
酒屋神社
創建年月など不詳だが、かつて神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓遠征の際、神社背後の山に酒壺を三個安置して出立、帰国後その霊験に感謝して建てられたとも。本殿は明治9(1876)年の再建で一間社流造り、屋根に特徴があり、千鳥破風(ちどりはふ)と軒唐破風(のきからはふ)を配した姿は山城地域では県(あがた)神社(宇治市)本殿など、限られたところにしか見られない。神功皇后が朝鮮より持ち帰った“九山八海の石”が今もここにあるという。 また、河内国の酒造りを業とする中臣酒屋連(なかとみのさかやのむらじ)の一族が来往して、酒造りを伝え、祖神を祭ったものともいわれる。 佐牙神社とともに酒造りに縁のある神社である。祭神は、津速魂神(つはやむすびのかみ)と応神天皇。 近くには興戸の大池があり、初夏の青葉、秋の紅葉と季節によって様々な美しい姿を見せてくれる。
佐牙神社の方は酒造りということが中心になっており、一説には酒屋神社の方は、酒造りというよりは、その道具や器具を製作していたのではないかと考えられている。
古事記の中の文章でどこまでが事実かはわからないが、応神天皇の時代に、百済から酒造りの一族がやってきて、きれいな水が出るこの地に住み着いて酒造りを始めたと言う。 この人たちは「酒人」(さこうど)と呼ばれ、ずっと後になってから「こうど」と呼ばれるようになり、いつしかこの辺りの地名「興戸」 になったと伝えられている。
酒屋神社を出て、興戸駅の方に戻り、草内へ。
1時過ぎ、雨がポツポツ。やがて本降りとなった。
傘を差しながら宝泉寺に。
宝泉寺(法泉寺)
中嶋山法泉寺(なかじまさんほうせんじ)の創建は明らかではありませんが、本尊の大きさ5~6寸の十一面観音の金像が付近の草叢から出現。この周辺の地名「草内」の語源ともなっている。関東では海から出た例が多いですが、ここは海から遠いので草の中。以来、この付近は草内(くさうち)と呼ばれています。何故か郵便局だけ同じ漢字で「くさじ」の読みなのが不思議です。
天長年間(824~833年)の旱魃で日照りが続き、本尊に祈願したところ、清泉が湧き出てきたため、宝泉寺と名づけられ、雨乞い祈願の農耕守護仏として信仰されるようになりました。本堂は永禄2年(1559年)の戦火で焼失。元禄12年に再建されています。
門を入って左手にある十三重石塔は弘安元年(1278年)猪末行作の銘。
法泉寺は室町時代までは奈良興福寺の支配下で、鎌倉時代に西大寺の叡尊に拠る水害対策・渡しの整備があり、その供養記念として建てられたと言われます。
雨が強くなる中昨岡神社へ。雨は冷たく、傘が重く感じ、足のふくらはぎが少し張ってくる。
昨岡神社で雨宿り。神社の礼拝所に八十八歳米寿の祝いの額がたくさん掲げられていた。
初めて見た多くの額、この集落にはこのような風習があるのか。
昨岡神社 草内
創祀年代は健治年間(1274-78)といわれ、応仁年間(1467-1469)、永和年間(1504-1521)
に戦火で焼失したが、天文3年(1534)8月に再建されたと伝える。
古くは天神社と称したが、明治26年(1893)咋岡神社と社名を改めるとともに、それまでの
主神菅原道真を配神とし、倉稲魂神を主神とした。
本殿は春日造。春日造の形式は、中世に奈良興福寺の領地であった場合が多い。本殿は正面に軒唐破風(のきからはふ)をつけ、各所に蟇股(かえるまた)や虹梁(こうりょう)絵様を配して配色するなど装飾が多く、その細部様式からすると、江戸時代中期の建立と思われ、京都府の登録文化財に指定されている。
雨は弱くならない、草内から飯岡へ。
まず、穴山梅雪の墓。徳川家康の武将、本能寺で乱を起こした明智光秀の一派のため逃走中、この地木津川の飯岡の渡し付近で憤死したという。しかし、穴山梅雪の話は始めて知った。
墓地からゴロゴロ山古墳へて、飯岡山山頂の薬師山古墳へ。
ゴロゴロ山古墳は約60Mの円墳で継体帝の王子椀子(まりこ)王子の墳丘。その向かえにある薬師山古墳は椀子王子の子、桜井王子の塚で飯岡山の最高点にある。
雨の中、木津川に面した飯岡の渡し跡に。そばに舟形の東屋がある公園が作られていた。
今日はここまで、近鉄京都線三山木駅に出て解散。
今日もよく歩きました。
東大阪歴史散歩の会 平群谷 2021/03/07
2~3日前の天気予報では雨模様と発表されていた。
9時過ぎ、平群駅に降りると抜ける青空と巻雲、巻雲は天気が悪くなる兆候と説明されたが風もなく穏やかな好天だった。
まず、三里古墳へ、道すがら目にとめた土筆が春の暖かさを感じさせるように迎えてくれた。
平群谷の古墳はほとんどが住宅のすぐ傍、案内板や石室が見られないと知ることは出来ない。
隣家の犬に吠えられながら細い小道を上って三里古墳に。
三里古墳の外形は大きく変形されており、天井石や側石の大半を欠く。
玄室奥壁には板石を使って棚をつくっており、これは大和では三例しか知られておらず珍しいらしい。
横穴式石室の特徴である家族墓的な性格がよくわかる例で、石室を数回にわたって開口し、追葬したそうだ。
長屋王墓と妻吉備内親王墓へどちらも住宅地の中の小さな円墳、長屋王と吉備内親王の説明を聞く。
藤田家住宅(国重文)、大和棟が美しい住宅とあるが棟が少し痛んでおりなかなか維持管理が難しそう。文化財の保護の仕方について考えさせられる。
白山神社、
神社入り口脇には双体道祖神と思しき二体の仏像のレリーフが彫られた石像が祀られ、
二の鳥居を潜り石段を上がると正面に弥勒堂。瓦の鴟尾が美しい。
其の右側に並んで割拝殿が建ち、その奥に浪速狛犬に護られた本殿が覆い屋内に建立され不思議な感じです。
本殿目貫彫刻・龍が眼を輝かせていました。
旧道松尾道を歩く、田んぼのすぐ横少し広いあぜ道と言った感じの道。
ホトケノザ、ヒメオドリコソウ、カンサイタンポポとセイヨウタンポポ、キジムシロ、キュウリグサとかわいい草花が微笑ましい。
ツボリ山古墳、民家と民家の間にポツンと古墳が取り残されている。急な石段を昇るとすぐ石室の入り口である。主体部は南に開口する両袖式の横穴式石室で、奥壁上段の石を内傾させている。
玄室と羡道奥に二上山の白色凝灰岩製の刳抜式家形石棺が納められている。
平群中央公園、田舎には似つかない立派な公園です。(失礼)
見晴らしの良い、上の東屋で昼食、陽射しがあり、風もなく紅梅を見ながらくつろぐ。
ここは下垣内城趾、西宮城趾を公園に取り入れた総合公園。
すぐ傍の西宮古墳へ
廿日山(はつかやま)丘陵南側の緩斜面に築造された、方墳で全面に貼石を施していたらしい。石室内には石棺の棺身だけが残っている
玄室は天井、奥壁、側壁すべて一枚石を使ったみごとなものである。こんな巨石にはなかなかお目にかからない。
平群神社を経由して烏土塚古墳へ
平群谷最大の古墳で、巨石を用いた両袖式の横穴式石室が南に開口している。
墳丘長60.5m,前方部幅31m,後円部径35mの前方後円墳。
古墳時代後期(6世紀後半)の築造と推測、石室前庭部で埴輪を用いた祭祀跡が確認され、国史蹟に指定されている。
ここから近鉄竜田川駅に出て一応解散。余力のある人は椿井城趾から平群駅へ。
今日も十分に歩いたので竜田川駅から帰宅。
東大阪歴史散歩の会 滝坂石窟群と春日山原生林 2021/02/14
柳生街道で知られる滝崎の道に点在する石仏群と石窟仏、ならびに春日山の原生林遊歩道から若草山をめぐる、史跡遺産と自然遺産と展望が同時に楽しめる、シニアむきの特別企画です。とある。
大阪区民カッレジ・東成校の友人の紹介で参加することにした東大阪歴史散歩の会。
午前9:00近鉄奈良駅東改札口集合、でも8:30に着いてしまった。
でも、会員らしき人は3~4人見かける。
しばらくして集合、紹介され、参加費300円払って資料をいただく。
行程と注意事項の説明を受けた後、出発、まず興福寺に。
興福寺には何回となく来ているが南円堂の西にある三重塔(国宝)は初めて知った。
こんな美しいかわいい塔をいままで知らないなんて、あまり歴史について真剣に見ていなかったと反省。
興福寺を抜けて春日大社一の鳥居へ。
影向の松を過ぎ、右手に飛火野の鹿を見ながら二ノ鳥居へ、春日大社にお参りしてから若宮神社の方へ
滝坂の道に出る手前でトイレ休憩と滝坂の道の説明を聞く。
滝坂の道の最初は閑静な住宅がつづく、一軒の家に福寿草と桜草が満開、山野草好きの私にとって感激する風景。これだけでも満足。
地道に入り、石畳の道がずっと続く滝坂の道、右手の流れの中にはいくつもの小さな滝。
かなり勾配がある、道の整備に石を敷かれた先人の技術と努力の跡が足裏に強く語りかける。
最初の石仏は寝仏。よく分からない。でも、お花とお水が供えられている。
朝日観音と夕日観音、どちらも弥勒信仰が盛んだった鎌倉時代の弥勒菩薩像。
美しい磨崖仏である、しかし、どちらも観音と名付けられたのは何故か。
後世の人にとって観音様の方が親しみやすいからか。
首切り地蔵の前の休憩所でお昼休み。
首切り地蔵の伝説はあまり面白くはないが立派なお地蔵様で街道の目印としてインパクトはある。
昼食後春日山石窟群へ、近道が土砂崩れで通行止めになり後30Mの所で後戻り、少し遠回りして到着、立派な磨崖仏がたくさん見られた。
地獄谷石窟群はこれより何倍も大きい規模と聞くが時間の関係で若草山の方へ。
大きな杉の木に囲まれた奈良奥山ドライブウェイを若草山目指して歩く。
途中、鶯の滝へ希望者だけ荷物を置いて見に行く。この道は細く険しく少し足に堪える。
滝を見た後、戻って若草山の駐車場へ、ここでトイレ休憩。
個々に若草山に、少し霞んでいるが展望は良い。
しかし、この辺から足の太ももに張りがでてきた。
後は春日奥山遊歩道を下るだけ。でもこの砂利道は容赦なく太ももに響いてくる。
ここでも下りの歩き方についてレクチャーを受ける。
でも惰性で山麓まで下りる。
何年ぶりかの道行き、春にような暖かさに恵まれ、どうにか持ったという感じ。
奈良公園で筋肉の疲労回復のクールダウンをして解散。
皆さんの元気さに感服する、ありがとうございました。
木の葉の栞作り 2021/01/07
紅葉のシーズンになると、せっせときれいに紅葉した葉っぱを採取する。
きれいな葉っぱを押し葉して乾燥させ、ラミネートで仕上げる。
きれいな葉っぱはやはりきれいに仕上がる。
黄色い葉っぱは仕上がると茶色に変色しやすい。
きれいな葉っぱを拾い集めるのはかなり面倒である。
その年の紅葉は昼と夜との寒暖差や葉の光の当たり具合、空気中の湿度の具合により鮮やかさが異なる。
同じ木でも毎年きれいに紅葉してくれない。
また、季節の進み具合により、落葉の日にちは異なる。
気温の変化や降雨、風により葉の落ちる日が進んだり、遅れたりする。
雨が降って葉に泥が付くともう採集できない。
紅葉の落ち葉の採集時期は長いように思えるがタイミングが合わないと拾えない。
だから、この時期は注意して極力あちこちの公園に出かける。
昨年の晩秋は暖かく、急に温度が下がったので鮮やかな葉が多かったと思うが見るのと集めるのでは勝手が違う。
桜(ソメイヨシノ等)はどこの公園にもあり集めやすい。桜紅葉
今回は梅紅葉をたくさん集めようとあちこちの公園を渡り歩いたが、梅の木の葉のきれいな紅葉はなかなか見つけられない。梅紅葉
葉っぱのフレディの葉はアメリカフウ。アメリカフウは葉っぱが大きいのでF版や名刺サイズの葉を集めるのは至難の業である。
鶴見緑地公園にたくさん植えられているので今回も採取しに行ったが遅かったのかすべての木が裸になっていて一枚も拾えなかった。
他の街路や公園にはまだ青い紅葉していないアメリカフウもあったのに。
桜紅葉
桜は国花。一斉に咲き誇る、満開の艶やかな眺め、
一斉に散る、散り際の潔くも儚い美しさ。
花の美しさは言うまでも無い。
桜紅葉(桜の葉の紅葉)も花に負けず劣らず、美しい。
葉が大きく、厚いため、葉の表と裏で紅葉のようすが異なる。
また、一斉に紅葉しないため、樹全体の紅葉はそれほど印象に残らない。
しかし、葉一枚に眼を落とすと深い味わいがある。
赤色、燈色、褐色、黄色、緑色と、さまざまな色、
同じ一枚の葉の中に、それらの色が塗り分けられているものもある。
その鮮やかさ、しっとりとした美しさ、そして個々の美しさの違い、虫食いの痕・・・
他のどの木の葉より多彩に移ろう。この美しさを桜紅葉の栞で感じてください。
梅紅葉
梅の紅葉・・・ 梅の紅葉なんて知らない
梅林が紅葉の名所・・・ そんな話 聞いたこともない
梅紅葉(うめもみじ)という言葉があるなんて知らなかった
淡く繊細で おとなしい色味
色づいてもほとんど目立たず、すぐ散ってしまう
知らなければ 見のがしてしまう
このささやかな美しさを 穏やかに愛でる
知っている人だけのご褒美
この味わい深い趣を こっそり届けたい
桜紅葉 2019/11/17
11月も半ばが過ぎ、急に寒くなったと共に紅葉の季節になった。
今年も葉っぱの栞を作るためにきれいな紅葉葉を採取するためにせっせと公園に行く。
桜の花の美しさは言うまでも無いが桜紅葉(桜の葉の紅葉)も花に負けず劣らず、美しい。
葉が大きく、厚いため、葉の表と裏で紅葉のようすが異なる。
また、一斉に紅葉しないため、樹全体の紅葉はそれほど印象に残らない。
しかし、葉一枚に眼を落とすと深い味わいがある。
赤色、燈色、褐色、黄色、緑色と、さまざまな色、同じ一枚の葉の中に、それらの色が塗り分けられているものもある。
その鮮やかさ、しっとりとした美しさ、そして個々の美しさの違い、虫食いの痕・・・
他のどの木の葉より多彩に移ろう。
桜の木はどこの公園にもあり、集めやすいのも大きな魅力である。
公園緑地のグランドデザインは 2019/08/27
大阪市主催の2019年度グリーンコーディネーター育成講習会18期生の講習を6月5日から週1度のペースで受講している。
受講者は24名、参加メンバーはユニークな人ばかりで面白い。
しかし、大阪市はグリーンコーディネーターをどう活動させていくのか将来像ははっきりしない。
18期生なのでこれまでに500人ぐらいのグリーンコーディネーターがいるはずだ。
緑化ボランティアの活動の推進役になってほしいとのことだが、今の大阪市の行政は公園緑地の管理を指定管理者制度で管理経費の削減のみを重視しているように思える。
大阪市の公園緑地に対するグランドデザインは何なのか。
私は大阪市の公園緑地は都会における昔の里山と同じであると思っている。
公園緑地は都会において人と自然を繋ぐ、紡ぐ大切な場所である。
公園緑地の役割はいろいろあるが自然を顧みづらい現在では最も大切でかけがいのない場所と認識しなければならない。
公園緑地は昔の里山。自然と人とを結ぶところ。
人と自然の関わりで人を豊かに、里山も豊かに変貌してきた。
住民を豊かに、公園緑地も豊かにする。
これが私の公園緑地のグランドデザインである。
公園緑地は人と人とを結ぶ、繋ぐ、紡ぐ、綴る所。
人と自然は補うものである。
市民が集う公園緑地、開かれた生活の場、人と人のつながりを再生する場でありたい。
新天皇のお印 梓(あずさ) 2019/05/11
2019年5月11日(土)の新聞に天皇陛下即位の記念硬貨の記事の中で
金貨の表面には鳳凰と瑞雲を裏面には菊花紋章と天皇、皇后陛下の「お印」の梓(あずさ)とハマナスをあしらった。とある。
新天皇のお印の梓(あずさ)はどの木が当てはまるのか。
中国の「梓」と日本で言う「あずさ」がそれぞれ違う樹木をさしていて、今では日本でもほとんど「あずさ」とは呼ばなくなったために、厳密には「あずさ」という和名の樹木はありません。
皇太子殿下と妃殿下雅子様のご結婚十周年記念硬貨の台紙には「キササゲの花」と雅子様のお印「ハマナスの花」が印されています。
日本国皇室でお選びになった、皇太子殿下、浩宮様の(お印)は“梓”(あずさ)ですがこれは“キササゲ”が当てはまると思っていました。
しかし、今回の記念硬貨の梓(あずさ)の柄はキササゲではなくミズメのように思えます。
東京新聞2019年5月5日の記事に
前橋市柏倉町のカネコ種苗ぐんまフラワーパークは、天皇陛下のお印である「梓(あずさ)」の木の種を来園者に無料で配布している。六日まで。
一日百袋(一袋五粒入り)限定の先着順で、一世帯に一袋のみ。
お印は天皇や皇族などが身の回りの持ち物や調度品を区別するため、幼少期から使うしきたり。梓はノウゼンカズラ科で「キササゲ」とも呼ばれ、白い花を咲かせて大きな葉が付くのが特徴だ。
種の配布は皇位継承に合わせ、ゆかりの植物に興味を持ってもらおうと企画。種は土に植えると二週間ほどで発芽し、五~十メートルまで育つ。希望者は園内の休憩室で住所、氏名、電話番号を記帳してから受け取る。
同パークの石橋照夫社長(70)は「一日の配布開始から連日好評で、午前十一時ごろには全て配布し終えている。令和の記念に庭や植木鉢などに植えてほしい」と話している。
また、新天皇の即位を祝ってお印である樹の記念植樹もあちこちで行われている。
その木はどの木が選ばれているのか、梓の木についての知識が深まり、木についての興味が広がることを期待します。
マンサク考 2019/03/01
弥生3月、奈良東大寺のお水取りが始まるというのに暖かい日が続く。
杉花粉は嫌だが陽射しの柔らかさに誘われて服部緑地に出かけた。
今日の興味は早春に咲く花木(マンサク、サンシュユ、トサミズキ、ロウバイ)の開花状況。
マンサク、丁度花は見頃、きれいに咲いている。
名の由来は、花がたくさん咲くので「豊年満作」、春に他の花に先駆けて咲くことからまず咲く花でマンサクと名付けられたというのが通説である。
しかし、枝に枯れ葉が残り、枯れ葉の中の花は地味なので明るいイメージは少ない。
マンサクの名は古くはシイナとかシイバナと呼ばれたが、凶作を連想させる忌み言葉を嫌って、反対語である満作に改められたという説がわかるような気がする。
サンシュユは蕾が膨らみかけで見ごろは早いが、蕾みの色も濃い黄色で満開のサンシュユは黄金色に輝き豊年満作のイメージに近い。
栞しおり 2018/07/05
昨日から雨が降ったりやんだり、昨夜は大雨になった。
雨の降るエリアが続けて集中して降る傾向になっている。
明日も明後日も雨が続く予報になっており、今まで体験できてない雨。
地球温暖化が少しずつ実感させられる。
葉っぱの栞作りをライフワークの一つとしてたくさん作っていきたいので栞について調べてみた。
しおり「栞」は「本に挟む目印の役割をするもの」という印象が強いかもしれませんが、これは日本のみでの使われ方で、本来は「木の枝を折ったり、削ったりしてできた道しるべ」の意味をもちます。
「栞(しおり)」という漢字は、同じ高さのものがそろっていることを意味する「干干」と「木」が結びついた漢字です。
漢字上部の「幵」は同じ物を2つ並べて、平らにそろえられている様子を表し、「栞」では「(木を)切りそろえる、削る」の意味で使われています。これに「木」を組み合わせて、木を削ってできた「道しるべ」の意味が生まれました。高さをそろえるために、削っているということです。
つまり、木を削り、帰り道の目印としたものことで「しおり」を意味する漢字になりました。
しかし、日本では「道しるべ」の意味よりも、本に挟む「しおり」のイメージが浸透しています。
栞(しおり)とは、本に布や紙などをはさんで、どこまで読んだか目印にするものです。
本にはじめからとりつけてある、平織の布のことも、しおりと言います。
この平織の布のことは、「スピン」、「しおりひも」ともいわれます。
さらに、「旅のしおり」などと言って、簡単に旅行さきのことをまとめた小冊子のことも「しおり」と言います。
本をどこまで読んだかの目印と旅の案内。
たしかに、本の目印と旅の行き先の目印になるということで、同じ「しおり」という言葉の意味になります。
本をどこまでよんだか、すぐわかるように、目印になるように はさむもの。
旅をするときに、どう行けばいいのか、探せるように、目安にする小冊子。
ともに、目印となるものですから「しおり」と言います。
もともとは、「撓る(しほる)」という、草木をたわめるという言葉が本当の「しおり」の由来です。
「草木をたわめる」とは「草木を曲げたり、しならせる」という意味になります。
草木を曲げたり、しならせたりして結び目をつくり、それを帰り道の目印として迷わないようにする。
そして、この撓る(しほる)が⇒「しをる」⇒「しおり」と変化していったものです。
さらに、撓る(しほる)の「草木を曲げたり、しならせる」という言葉の意味から枝を折って帰り道の目印としたことで「枝折」という漢字での表現が生まれたものです。
ですから、しおりを枝折と書くのは当て字となります。
「栞」は人気漢字で響きも可愛らしく、ぜひ娘や孫の名前に使ってみたいと思う人も多くいると思われます。
「栞」は1990年に名前への使用が認められた、比較的歴史の浅い人名漢字です。
元々は1981年にサザンオールスターズが発表した「栞のテーマ」という曲が人気になったことで、「栞」の認知度が高まったのが関係しています。
「栞」を名前に使いたいという要望が強まったことで人名用漢字として認められました。
ちなみに、女優の貫地谷しほりさんは親がサザンオールスターズのファンだったことから、「栞(シオリ)」の名前を検討したものの、生まれた1985年当時は人名漢字ではなかったため、かな表記の「しほり」となったそうです。
明治安田生命が発表する名前ランキングによると2010~2015年の6年間で、「栞」という漢字を含む名前は5回ベスト100にランクインしており、徐々に人気が高まってきている様子がうかがえます。
「栞」は字面が左右対称でバランスがとれていて、直線も多くすっきりした印象のある漢字です。
日々の努力によって、まっすぐ成長してくれそうなイメージがあります。
「しおり、道しるべ」の意味から「人生の道に迷わないでほしい」「人々を先導して案内できる人に成長してほしい」などの願いが込められます。
また「目印」は到着点に向かうための通過点のことなので、「小さな目標」とも置き換えられ、「地道に一歩一歩進む子になってほしい」との想いも込められます。